手広い会議室にて、上級悪魔の会合が開催されている。参加しているのは悪魔も恐れる悪魔だ。力量のみならず、権力、才幹をも有している、おぞましい悪魔。
彼らには統治する区域が定められている。元より一般的な悪魔よりも残酷で残虐性を孕んでいる上級悪魔は、なにせ質が悪い。ゆえに、勢力を分散させることが必要だった。無駄な衝突を避けるためである。
上級悪魔同士の争いは、地獄全体に悪影響を及ぼすと考えられている。壊滅させられる区域も現れるからだ。それくらい彼らの実力は恐ろしいのだ。
地獄の情勢を把握するためには、上級悪魔の動向を心得る必要がある。地獄は彼らの塩梅で、公平になるように統治されているからだ。偏りをなくし、一見すると穏やかな生活を───言うまでもなく、それは地獄でのという括りである───送れるように。ただ、それにしても下級悪魔の軽率な言動により抗争が起こることはしばしばある。上級悪魔が地獄を分割して統治するのをよく思わない下級悪魔も存在するのだ。要は己の力を過信しているのである。そこには己が一番強く、地獄を牛耳ることができるという、なんとも説得力に欠ける自信があった。とは言え、上級悪魔はさして気にも留めていないのが現実だ。
力を享有するからこその余裕。彼らは分別をつけている。
そんななか、アラスターはある日突然地獄に現れると、ほかの上級悪魔に介入し、問答無用で彼らを葬り去ってきた。慈悲のかけらもない方法で、抵抗も許さぬままに。
アラスターの存在は、地獄に激震を走らせた。このままでは勢力が偏り、秩序が───この場合、やはり平均的な、平和で平穏な秩序とは到底言い難いものの───崩壊してしまうと危惧されたのだ。
そこで、ほかの上級悪魔の登場である。彼らはアラスターとの接触を試み、地獄の情勢が揺るがぬように話を持ちかけた。そして同意された。アラスターにも得があったからだ。
さて、今回の議題は天使が堕ちてきたことに関してである。
次回のエクスターミネーションの予定が早まったことに対し開催された会議とは別の、これまた面倒な議題だった。会議室は静寂に包まれている。皆なにか思考を巡らせているようだった。
口火を切ったのはカミラ・カーマインである。
「ここにいる全員わかっていると思うが、今回の件は無視できたものではない。早急に処分を検討する必要がある」
忌々しいと言わんばかりの声色だった。双眸には憤激の炎が揺らめいている。カミラが握り拳で力強くテーブルを叩くと、皆の視線が彼女に集中した。
エクスターミネーションにより粛正されている悪魔は、基本的に天使のことをよく思っていない。無論、抗う術もなく駆除されるからである。
しかし、下手にエクソシストに手を出して謀反と捉えられるのも危険だった。反逆と見なされ殲滅されることを危険視しているのだ。それくらい彼らは悪質なのである。
上級悪魔はこの事態を無視できたものではないと承知していたものの、やはり無闇に行動に移すべきではないとも思案している。かと言って、謀反に興味がないわけではない。彼らは天国に報復することが実に心躍るものでもあるという予測を立てている。
一応、表立って天使に反撃しようとする悪魔もいるのだ。彼らは無思慮に悪逆しようと考えている。その暁の成り行きを顧みもせずに。ただ、そういった行動をとる悪魔は大抵“雑魚”と表されるものであり、大した意味を成さない存在であると言えよう。そして一様にして天使に駆除される。無残にも返り討ちにされるのだった。
数週間前に地獄に堕ちた元天使、なまえ。彼女の存在はアラスターを仲介し、上級悪魔の耳に入っていた。当然、片翼と輪が失われているという情報も、である。
前代未聞の事態に、どのような処分を下すか、皆が思案顔を浮かべている。
先にも述べたように、上級悪魔たちは本来ならばエクソシストに手をかけるのは極力避けたかった。少なくとも今は。抵抗し地獄ごと駆除されてしまえば元も子もない。だがなまえに関して言えば、エクソシストと呼んでもいいのか判断に悩む存在だった。
それに、ほかのエクソシストと共に天国へ帰還しなかったのも疑問だ。負傷していたからなのか、裏切りがあったからなのか。どちらにせよ、面倒な問題であることに違いはない。
上級悪魔は天使のことを唾棄するほど嫌悪しており、報復を計画していないわけでもない。虐げられてばかりでは面白くないのだ。そこには明確な殺意があった。いずれは寝首を掻くことを視野に入れている上級悪魔もいるのである。己の治める区域に手を出されて許せたものでもなかった。
そこで、殺しても無問題なのか否か。
例に見ない状況に、対応に困る。下す判断は手探り状態ではあるものの、カミラとしては、なまえはエクソシストとは呼べない存在のため、殺してもなんら問題はないと思考しているようだった。帰還しなかった理由は定かではないが、殺処分しても構わないと。
それになまえが地獄で生活をすることで、地獄の内情を天国に曝露される恐れもある。手の内を見せてエクスターミネーションをより有利に執行される憂懼もある。それらを踏まえると、やはり処分した方が好ましいような気がする。
カミラは天使は殺せるという真実を得ていた。ただ、もし仮に未だなまえと天国が連絡を取り合っているとすると、その判断は少々思慮が足りないかも知れない。加えて、天国が血眼になって探している可能性もゼロであるとは言えない。行方を捜索されている対象が死亡しているとなると軋轢が生じるのだ。ただでさえ劣悪な関係性であるのに、それに拍車をかけてしまう、それこそ、次回のエクスターミネーションにおいて、例に見ない粛正を誇示されるかも知れない。
だが実際のところ、エクソシストは裏切った仲間を見限る。エクソシストと呼べないなまえは、彼らからすれば不要な存在だった。悪魔を殺せないやつは見捨てる。無意味だからだ。なまえには存在価値すらなかった。
しかしそのような内情など、悪魔が知り得るものではない。結局は天使と悪魔は相容れない仲であり、互いの事情など予測できるものではないのだ。
「次回のエクスターミネーションの前に殺すべきだろう」
カミラは、なまえはエクスターミネーションの際にほかのエクソシスト共謀してなにかしらの行動を移すと推測していた。野放しにしておくのは悪魔にとって───地獄にとって、あまりにも危険すぎると言うのである。
明らかに憎悪の表情を浮かべるカミラを眼にしたアラスターは、内心ほくそ笑んでいた。あのあまりにも無力で非力ななまえが危険視されているのが愉快でしかたがなかった!
不意に、アラスターが笑い声を上げた。「なぜ笑う」カミラにそう訊ねられ、返答する。
「いや失敬。あまりにも短慮な考えだと思いまして」
失言、とはアラスターは思わなかった。カミラが舌打ちをする。
アラスターはなまえがカミラの推測とかけ離れた存在であることに笑ったのだ。一切の危険性も孕まず、大した戦力もない存在。あまりにもよわよわなエクソシスト。皆の想像するエクソシストとはかけ離れた特徴を有するなまえが、アラスターにとってお笑い種になっている。
「だが、殺すにしても殺さないにしても、手は打つべきだ」
カミラはアラスターの発言にハッとすると、悩ましげにそう口を開く。そしてもう一声続けようとしたところで荒々しく扉が開かれ、みなの視線がそちらへと移動する。
「はーあ、会議とかこないだやったばっかじゃん」
赤い髪の毛に白色と黒色のメッシュが入った女───ヴェルベットが入室したのだ。カミラが眉間にしわを寄せる。カミラが「不参加でも結構だが」と吐き捨てると、面倒であるということを隠そうともせずにあしらった。ヴェルベットは笑い声を上げる。
「誰も参加したくないなんて言ってないだろ? 頭だけじゃなくてとうとう耳までおかしくなったって? 議長降りた方がいいんじゃない? 出しゃばんな耄碌ババア」
ヴェルベットはけらけらと笑いながらカミラに中指を立てると、椅子に腰かけた。そのままテーブルに頬杖をつき「で、天使の話っしょ?」と言う。
カミラは溜め息を吐き、頷く。
「処分について話し合っていた」
その言葉に、ヴェルベットは愉しそうに口を開いた。
「あたしに頂戴よ」
髪の毛を人差し指でいじりながらそう言うヴェルベットに、カミラは視線を鋭くする。「なんのために?」訊ねられ、鼻歌を歌う。
「ショーがあんの。天使をモデルに出すとか超おもしろそうじゃん」
それに、いい商品になりそうだし。口許こそ歪んでいるが、眼は笑っていなかった。
皆が小言を口にする。当たり前だがヴェルベットに呆れているのだ。ただでさえ対応に困る事態なのに、それをさらに複雑にするなど考えられたものではない。天使を曝け出したことで天国はどう動くかが不明瞭である以上は、へたに行動に移さない方がいい。少なくとも、ここにいるものはそう結論づけている。
「はあ? なにがダメなの?」
ヴェルベットは、誰も賛同しないことに首を傾げる。
「天使だって名目でやるわけじゃないし、別にいいでしょ?」
ヴェルベットはいかにも理解ができないという表情を浮かべながら言う。そういう話ではないのだ。彼女は現状を軽視しすぎている。
彼女は刺激を求めているのである。
堕ちた天使を採用するとなると、話題性に富む。表向きは天使と謳うつもりは毛頭ないものの、実物を見れば悪魔ではないなにかであると理解できるものは少なくないだろう。とは言え、天使が地獄にいるのは到底あり得ない話なので、結局皆のなかでは悪魔に見えない悪魔であると処理されるはず。つまるところ、悪魔であるにしても妙なまでに興味をそそられる、そんな魅力的な存在。そうなると、当然視聴率は伸びるに違いない。
格好の餌食だった。注目の的に相違ないのだ。みなが興味を持ち、なまえのことを知りたいと思う。ヴェルベットはそれを利用したかった。
だがこれ以上発言を許すと、余計に話が拗れそうだ。カミラは「とりあえずは、情報収集が必要だな。確か仕事を請け負っていたはずだが」と、半ば強制的にヴェルベットの発言権を奪う。
「配達員ですね」
アラスターは提供する情報を取捨選択しているように窺えた。それを耳にしたカミラは「であれば、接触する理由はごまんとあるな」と言う。
配達員。それは実に手軽そうではあるが、実際のところはとても重要な仕事と言える。いくら地獄とて、書類でことを運ぶことは少なくない。暴力でものを言わせる輩は多いが、背景では書類で為済ますこともあるのだ。計画書、請求書、魂の契約でも書類は必要になる。したがって、当仕事はなかなか意義深い役割なのである。
カミラはアラスターに直々の情報提供を求めてはいないようだった。彼の特徴を把握しているからだ。素直に差し出すのはあり得ない。己が喉から手が出るほどに求めていることに対し、適当にあしらわれるであろうと予測を立てていた。のらりくらりと躱される展開が見え見えなのだ。
そこでなまえの情報に関する話題は一旦中断された。そして、カミラが「ところで」と続ける。
「プリンセスが奴のことを保護しているのにも疑問がある」
もっともな疑問である。手のひら返しのような行動は、どこか不気味だった。
なぜならチャーリーはエクソシストを嫌悪しているはずなのだ。成す術もなく、争うこともできないままに蹂躙され続けているさまを見て、辟易しているのだと。
それなのに、なぜナマエのことを受け入れたのか。
ハズビンホテルの経営を始めた理由。エクソシストとも腹を割って話せば事情を汲み取ってくれると、そんな淡い期待を抱いているとでもいうのか。ないしは油断させておきながら裏切り、エクスターミネーションの憂さ晴らしにするつもりなのだろうか。或いは仲間であると迎え入れたのちに牙を剥き、笑いものにして絶望する顔を見たいのだろうか。地獄の家族───もとい悪魔を虐殺されていい気分であるわけもない。
チャーリーはなまえを利用するに違いなかった! エクソシストを匿う時点で、なにか“裏”があるのは確実だ。巧みに洗脳し、使役し、盾とする。そのような作戦であるのかも知れない。
己には想像ができないくらいの惨たらしい算段。長年の雪辱を果たす心算。その線で憶測してもいいのだろうか。
カミラはそこまで思考すると、重い溜め息を吐いた。己はチャーリーではない。ゆえに、考えても結局は推論にすぎず、なまえの件と同様、生産性のないものだ。
今回の議題は主になまえに関することだった。話し合いの結果、今のところは野放しにしておき、様子見する。なにか問題を起こしたら始末する。殺せないという考えはカミラにはなかった。むしろ、今すぐ殺してもいいほどだった。
会合が終了し、上級悪魔はみな帰宅しようと会議室を後にした。
全員が退室した部屋のなかで、ヴェルベットが呟く。
「チッ、勝手にやってな。あたしはあたしのやりたいようにやる。指でも咥えて見てろってんだ」
その言葉が誰かに届くことはなかった。
アラスターは上機嫌だった。有意義な会合であったと、そう満足したのだ。やはりなまえは危険視されている。それを確認できたのは、アラスターにとって大きな収穫だった。
歪んだ正義心と残虐性を併せ持つエクソシストは、悪魔とは犬猿の仲であることは言うまでもない。長い歴史のなかで互いに互いを憎み合い、それが改善される兆しは見えない。大半のものはそれが当たり前であると思っているし、改善されるはずがないとまで考えている。そもそも、後者の“改善”という単語が出るという思考にまで至らないのが現実だ。
チャーリーは悪魔も良心を持っているし、善行を重ねることで天国へ行けるものだと思い込んでいる。アラスターはそれが面白くてしかたがなかった!
「アラスター」背後から声がかけられる。背の高い男───ゼスティアルだ。先の会合で優雅に紅茶を飲んでいた男。
「実りのある会議だった」
「それはよかった」
「だが、なぜ情報を提供しない?」
アラスターは笑った。ゼスティアルの、なにもかもお見通しであるかと言うような口ぶり。それがまた気に喰わない。そして「提供しているではないですか!」と、立ち止まりながら声高らかに言うものの、内心で苦虫を噛み潰したような面持ちになる。
毎回、この男には一杯食わされる。なにもかも悟られているかのような言動が鼻につくのだ。
「堕ちた天使……なまえと言ったな」
ゼスティアルはなまえの名を呟く。どこまで把握しているのか。そしてなにを思考しているのか。「よくご存じで」含み笑いをするアラスターを見たゼスティアルは「実に興味深い」と続ける。
「なまえがここに堕ちた所以。それは承知しているのか?」
「愚問です」
「裏切りがあったと?」
「そうとも言えるでしょうね」
アラスターは核心を突いた質問を口にするゼスティアルに返答する。なまえの状況に関する情報は惜しみなく開示するつもりだった。
ゼスティアルは天国の内情に興味を持っている。否、彼だけではない。上級悪魔は皆、敵国の裏事情は知っておきたいのだ。エクスターミネーションにおいて謀反する隙を見計らっているのも関係している。一方的に駆除されてばかりでは非常に面白くない。上級悪魔は腹の底で、ふつふつと燃え上がる憤激を感受している。
なまえがエクソシストの裏切りによって堕ちたとなると、それはつけ入る絶好の機会になるとゼスティアルは思考している。要は弱みになるのである。となると、やはりなまえと接触するのは意義深いものがある。なまえがいると、天国そのものの情報を入手できるのだ。裏切られたということは、なまえをいたく絶望させたに違いない。なまえを引き金に地獄に追い風を吹かせることができる。そう思案した。
だが、アラスターはその点に関する情報は提供しない。なまえを取り巻く状況下以外は隠蔽するのだ。
おもむろに、ゼスティアルはアラスターに詰め寄ると「とかく固執しているようだ」と口にした。アラスターは口角を吊り上げる。
「さア、どうでしょう」
「甚だ貪欲で憐れな感情と言えよう」
「どうぞ推論なさい」
アラスターは閉口する。これ以上の情報はくれてやらないと言わんばかりに。
周辺にいた下級悪魔が、叫び声を上げながら現場を去っていく。上級悪魔同士の雑談。それは得てして悪魔の恐怖心を煽るのだ。圧倒的な存在は、当たり一帯に威圧感を与えた。ひりひりとした環境のみならず、気温までもが数度は低下する。ぴりついた空気が肌を撫で、呼吸をすることすらも憚られるかのような空気感。今はその叫び声が、厭に鼓膜にこびりついた。
不意に、ゼスティアルはくつくつと喉を鳴らすと「だが、手に取るようにわかることもある。……あまりにも単純であるとな」と言った。静まり返った空間に、低音の声がよく響く。
「引き合わせるつもりは毛頭ないのだろう」
アラスターはなにも言わない。聞き流しているかのように見えるものの、彼はゼスティアルの発言を事細かに分析している。
「情報収集は各々に委ねつつも、それを許すわけもない。それは今も同様だ」
依然として無言を貫くアラスターを見たゼスティアルは、静かに肩を震わせて笑うと、そのまま姿を消した。
「……」
アラスターは、ただ無言でホテルへと向かっている。