花束の小骨ばかりを集めてた

「なあ、もういい加減泣き止んだら?」
 
 共にソファーに腰かけている、ぽろぽろと絶えず涙をこぼしているひとりの少女に、エンジェルダストは───女性なのか男性なのか、はたまたどちらにも該当するかもしれない人物である───言う。
 少女の名前をなまえという。なまえは未だに、なぜ自身が地獄にいるのか理解ができないでいた。地獄には生前罪を犯した人物がいざなわれる場所。あいにく、少女は地獄に連れていかれる謂われはまったくもってなかったのだ。
 ここ、ハズビンホテルとは、阿鼻叫喚たる地獄にて大量虐殺や薬物依存等に溺れる人物を更生するために建設されたホテルである。だが、残念ながら訪れる人物は今のところ現れる様子はないのが現状だった。

「だって、だって、こんなのってひどい」
 
 なまえはラジオデーモン───名をアラスターという───の玩具として扱われている。外出するのも許可されず、異性と接触するのも許可されず、ともかくなにかと彼から制約を受けているのだ(どういうわけかエンジェルダストは除外されている)。そのような契約をした記憶はない。ただ、彼がハズビンホテルを訪れてから、彼がなまえを一目見た時から、そのような事態になってしまったのである。なまえは当初は理解できずに泣いた。現在進行形で泣いていた。

「今度はどうしたってんのさ?」
「アラスターがいないときにこっそり外にでたの」
「……あー……」
「うう……」
「あいつのこと忘れられるように俺とセックスでもする? ヤるならど派手にさ! SMグッズとか使う? あとは電マとか。ディルド使ってみるのもいいかもしれないな。ついでに後ろの開拓もしてみる?」
「ううう……」
「あんたはいつもそんなことばっかり!」
「……ジョーダンだよ。いい加減泣き止みな」
 
 エンジェルダストはヴァギーに戒められつつ、なまえの頭をやさしく撫でる。そして彼女の発言でひとり納得した。その様相を目にすれば、当然ながらアラスターの怒りを買うだろうと簡単に予測できたからだった。

「ねえ、エンジェルからもなにか言って?」
「それは無理な提案だよ」
「どうして」
 
 現に、チャーリーやヴァギーなど、アラスターに拘束されているなまえを助けようとしているのだ。しかしながらいつものらりくらりと躱され、なまえが解放される兆しは見えない。

「あら! なまえ、涙で顔がぐちゃぐちゃよ!」

 ホテル内を掃除していたニフティが言う。彼女は清潔なタオルをどこからともなく出すと、なまえの顔を丁寧に拭く。「ん、んう、あ、ありがとう、ニフティちゃん……」そのてきぱきとした手際に、エンジェルダストは溜め息をつく。
 彼は彼で、アラスターの異常な執着を感じ取っていた。なにがアラスターの原動力になっているのか理解できないわけではない。ただ、彼にとってまさかそのような感情があるとも思えないのだ。

なまえ、とりあえずこの紅茶を飲んで落ち着こう?」

 ようやく涙が引っ込み、落ち着きを取り戻しつつあるなまえに、ホテルの奥から出てきたチャーリーが紅茶を差し出す。なまえはおとなしくそれを受け取り、一口飲んだ。

「あ、ハーブティ……」
「落ち着くにはこれが一番だと思って」
「う、う、チャーリーちゃあん」
「もう泣くのは止め! ね?」
「ん。んん……」

 察しているかもしれないが、現在アラスターは外出している。この場にいたらどんな目に遭っていたかなんて、考えるだけでも恐ろしい。おそらくはどこかで粛清という名の殺戮をしているのだろう。それが彼の日常だからだ。ホテルの繁盛の一助をするという約束をチャーリーと結んでいるはずだったが、実のところその結果に結びつく事柄をした試しはない。これも彼の暇つぶしの一環なのであろうか。
 そもそもアラスターがなにを考えているのかが理解できない。ふらりと外出してはふらりと帰ってきて、そしてなまえをもてあそぶ。もし掟を破り───尤も、なまえはそんな契約を結んだ覚えはないのだが───外出をしたり挙句にはホテルの人物以外と会話をしたりすると、見るからに不機嫌になるのだ。不機嫌といっても笑顔は絶やさず「お前のことはいつだって殺せる」という様相を示すのである。加えて彼はなぜかなまえの行動を細かに把握していた。これには盗聴器やGPSを搭載しているとしか考えられないと、それくらいの詳細である。だが、そんなものは身に着けていなかった。それがさらになまえの恐怖心を煽るのだ。

「いやはや、本日も虐殺日和だ!」

 どきり。なまえの心臓が跳ねる。明朗な声が聞こえたと同時に扉が開かれる。済々とした表情からはよほど満足したように窺えた。鼻歌を歌いそうな様だった。しかしながら───
 彼は狭いソファーにふたりで腰かけているなまえとエンジェルダストに目を細める。

なまえ。腰を掛けるところを間違えているのではないかな?」

 その言葉になまえは飛び上がる。「あ、あの、うん、そうかもしれない」震えた手からマグカップが地に落ちて割れる。「まあ、大変! すぐに掃除をしなくっちゃ!」ニフティは剣呑な雰囲気に気が付かず慌てて雑巾を取りに行った。そして沈黙が訪れる。

「だが、そうだね。今日の私は機嫌がいい。さあ、こちらへおいで」

 どきり。再びなまえの心臓が跳ねる。近くに行って何もされなかった例はなかった。
 恐る恐る近づくと、手を取られる。先ほどまでひとを殺していた手で。血液は付着してなかったが。そもそも、アラスターは血濡れになって帰ってくることはなかった。いつものように魔法で着替えているのか、それとも血が噴き出すような殺し方をしていないのか。真偽は不明である。
 なまえは恐々近づくと、アラスターはぱちんと指を鳴らす。すると快活な音楽などこからともなく流れてくる。これは彼の機嫌の良さを現れだった。
 するとおもむろに両手をとられた。指が絡まる。そしてそのまま引き千切られるのではないかと恐ろしかったが、なまえの予想は外れた。彼は音楽に合わせて踊り始めたのだ。足を踏みそうになるなまえをリードしながら。

「???」

 なまえは理解ができなかった。アラスターがなにをしたいのかと。リズムよく踊るなかで口に軽くキスまでされ、頭が爆発しそうだった。

「あの、あの、アラスター」
「ん?」
「なんで、ダンスなんて」
「おや! 嫌だったかな?」
「そ、そんなことない! けど……」
「けど?」

 にっこり満面の笑みを返され、なまえはぞっと肌を粟立たせた。「ん、ううん、なんでもない」そしてぎこちなく笑顔を返すしかなかった。
 くるくると華麗に踊るふたりは、目にしている以上は仲睦まじげに見える。ただ、こわばった表情を浮かべるなまえと愉悦な表情を浮かべるアラスターの対照的なふたりを目にして、エンジェルダストは瞬きをする。そして確信を得たように呟いたのだ。

「やっぱそうなんじゃん……」