爪を研いで、愛を奏でて

 よく食べるひとだなあ。なまえは目の前の肉に齧りつく青年を見てそう思う。途中、焦って喉に引っかかったのか、胸をどんどんと叩くので、慌てて店員に水を所望して持ってきてもらう。すると彼は店員が持ってくるや否や奪い取るようにして手に持ち、ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら肉を胃袋に流れ落とした。

「あっぶねえ……死ぬところだったぞ」
「お肉をひっかけて死んじゃうなんてはずかしいね」
「るせー。……なんだよ、お前は食わねえのか」
「わたし? うーん、じゃあパフェでも頼もうかなあ」
 
 のんびりとそう言う少女───もといなまえは、実のところ対峙している男とは実は初対面なのである。なぜそんな人物と共に行動しているのかと言えば、単純な話、ガロウが彼女の恋人から無理やり引っ剥がしたからなのだ。
 なまえはバッドと交際している。今日も学校帰りに共に帰宅する心積りでいた───のだが、それは未遂に終わったのでこの現状なのであった。
 バッドは「テメェ待ちやがれ!!」と怒声を浴びせかけたのだが、青年はなまえを肩に担ぎそれを回避。そしてファミレスに来た次第なのである。

「そういえば、名前聞いてなかったね」
「ガロウ」
「ガロウくんかあ。わたしは、」
なまえだろ。知ってる」
「え! そうだったの」
 
 なまえは瞠目した。どうやらガロウは、彼女が思っているような“初対面”であるとは言えないような間柄らしい。それを知っているのはガロウだけだが。ほやほやしているなまえは、そのことは1ミリも脳裏を過ぎらないのである。

「はー食った食った」
「わたしまだ食べてないよ」
「見ればわかる」
 
 店員がパフェを持ってくるまでの間、なまえはガロウのことを観察する。同い年くらいだろうか。黒くぴったりと肌に密着している服は彼の筋骨隆々な体躯を示している。なにか格闘技でもやってきたかのような身体つきだ。
 ガロウはガロウで、なまえのことを観察していた。ぐにゃぐにゃと弾力のありそうな肢体と四肢。抱き心地は良さそうである。思わず目を細めた。

「お待たせいたしました。チョコレートパフェです」

 特段会話をすることもなく、念願のパフェが届いた。なまえは嬉々としてスプーンを手に取り、パフェにありつく。チョコレートを纏う生クリームを口にすると、多幸感から思わず頬を緩めた。

「平和ボケしたような顔してんな」
「だって、おいしいんだもん!」
「……」
「ガロウくんも食べる?」
「はあ!?」
 
 なまえはなんてことない表情でそう言うが、当然ながらスプーンはひとつしかない。つまるところ、間接キスをすることになるというのに! なまえはそこまで考えがいっていないようで、ガロウは溜め息をついた。

「お前、いろいろと心配なやつだな……」
「? どういうこと?」

 きょとんと目を丸くするなまえに他意はないらしい。ガロウは再度溜め息をつく。
 思えば、バッドから掻っ攫ったときも大した驚きを見せなかった。バッドは怒り狂っていたが。どうやらそこらへんの回路はガロウの言うように“平和ボケ”していると言える。
 いっそのこと襲ってしまおうか。そんな邪心がガロウのなかで湧いてくる。そうしてしまえば、今幸せそうに綻ばせている顔も、笑顔も、なにもかもが、ぐちゃぐちゃに歪むのだろう。それを目にするのも悪くないと、そう思えてきたのだ。
 だが、今日は乗り気でない。なまえの恋人であるバッドのことを考慮しているわけではなく、ただ単にガロウの気が乗らないだけだった。
 ガロウはなまえとバッドが交際していることを承知している。だからこそ放課後楽しそうに並んで歩くふたりの姿を見て、燃えるような嫉妬心を抱いていた。そして行動に移した次第なのであった。
 当然ながらバッドは怒り狂ってガロウのことを追いかけた。だが、足の速さに関してはガロウの方に軍配が上がったというわけなのであった。
 なまえなまえで、誘拐されたと言っても過言ではない状況だというのに、嘆き悲しむどころか呑気にパフェを頬張っている。幸せそうな笑みで堪能しているのだ。

「お前、逃げねえのかよ」
「? どうして?」
「あいつから無理やり引き剥がしたんだぞ。少しは抵抗するなりなんなりしろよ。それが普通だろ」
 
 ガロウは呆れ半分でそう言うと、なまえは朗らかに笑って「だって、いつだってバッドくんが守ってくれるから」と言った。ガロウはその言葉にカッとする。自分で撒いた種だと言うのに、自滅したのだ。

「あーそうかよ」
「! き、機嫌悪くなっちゃったの?」
「……」

 ガロウは考えるよりも先に、腰を上げテーブルの上に乗り出すと、ぽやっとしたなまえの襟首を掴み上げる。「うぐえ」と可愛げのない声が発せられるが、そんなことは構わず荒々しく口づけた。唇に付着していた生クリームの味がする。彼は甘いのは得意ではなかったが、それでもなまえの唇についているものはどこか美味であり、思わずぺろりと唇を舐める。「ん、んー!」無意識に食んでいた唇に、なまえは顔を背けようとする。ガロウはそれを拒もうとしたが、あまりにもなまえが苦しそうなので、おとなしく唇を離した。

「なん、なんでこんなこと」
 
 なまえは呆然としている。ガロウは鼻で笑った。

「どうせキスの一つや二つくらいしてんだろ」
 
 しかし、なまえは何も言わずに顔を赤らめた。じわじわと上ってくる熱に、今度はガロウが瞠目した。

「……は? おい、まじかよ」
「う、う、ガロウくんのばかー!」

 なまえはそこまで言うと大急ぎでファミレスから飛び出して行った。ご丁寧にお金をテーブルに置いて。

「……は、はは!」

 ガロウは腹の底から笑った。どうやらなまえの初めてはオレが貰ったらしい、と。喜ばずにはいられなかった。この調子だと本当にバッドからなまえを強奪することができるかもしれない。そんな思いを胸にしまい、彼はなまえがご丁寧に置いて行った金銭で支払いを済ませると、ファミレスを後にしたのであった。