肋角さんはどうやらこれから報告書をまとめるお仕事があるらしく、わたしはお話が終わってからは邪魔にならないようにと早々に退室した。
扉を開けて廊下に出る。そしたらすぐ横に平腹さんが壁に背を預ける風にしてしゃがみこんでいて、びっくりした。彼は部屋から出てきたのがわたしであると分かったら立ち上がって「話終わった?」と話しかけてきたけど、どうしてここに。
「はい……終わりました」
「強面だったろ!」
「肋角さんは強面ではない! 口を慎め平腹」
なぜ部屋の前にいたのかを訊ねようとすると、別のひとの声に遮られた。カツカツカツカツと急ぎ足で近づいてきたのは、見たことない獄卒さんだ。声を荒げてずんずん近づいてくる顔の眉間には深い皺が刻まれており、怒っているのは一目でわかる。平腹さんの強面発言に立腹している様子である。
彼はわたしたちの目の前で立ち止まり、隣に立つ平腹さんをギロリと睨みつけた。なんだか不穏な空気。喧嘩が勃発しそうな流れ。すごく逃げたい。
「先の言葉を訂正しろ」
「強面は事実じゃん」
「……貴様ア……!」
ギリッと歯を食いしばる獄卒さんに、平腹さんは怖気づくことなくゲラゲラと笑い声を上げながらそう言ってのける。それがまた獄卒さんの神経を逆なでしたようで、彼は手に持つ……トゲトゲしたバットみたいなものをきつく握りしめた。ぶ、物騒だなぁ……。お屋敷の中でも武器を持ち歩くだなんて、危なすぎる。それともこれが獄卒さんたちの日常なのだろうか。なんて恐ろしい。
ピンと張りつめた空気にどうしようもなくオロオロしていると、獄卒さんは鬼のような形相のまま、平腹さんからこちらに視線を移してきた。どうして。いやだこわい。
「お前……なまえと言ったか。亡者のくせに獄卒に身を預けて爆睡するとは気が狂っているとしか思えなかったが、やはり只者ではなかったようだな」
「……ば、爆睡? なんのことですか?」
「フン、ちんけな記憶力をしているものだ。前日のことすら忘れるとは」
「……」
チクチクと棘のある言葉が次々と精神攻撃をしかけてくる。でも、爆睡なんてした覚えはないのだ。しかも昨日といったら、廃校で平腹さんに散々連れ回されただけ。……あ、もしかしたら、彼は思い違いをしているのかも。なぜならわたしの記憶には誰かさんのおかげで気を失うという、空白の時間が存在しているからだ。
獄卒さんの口ぶりから推測するに、きっとわたしたちは初対面ではない。けどわたしには記憶がない、ということはつまり。「……あの、たぶんそのとき、わたし寝てたんじゃなくて気絶してたんじゃ……?」こういうことだろう。
「そういや谷裂と会った時、なまえグッタリしてたよなぁー…え、アレって気絶してたの? なんで??」
「平腹さんの動きが乱暴だったからですよ……!」
ふーん、と聞いておきながらあまり興味のなさそうな返事をされた。もういい。知らない。
しかし、これで獄卒さんの誤解は解けただろう。勘違いで事実と異なることで責められても、気持ちのいいものじゃないので、ひとまず安心……と思ったけど、そうはいかないみたい。というのも、これ以上ないくらいに厳しい顔をした獄卒さんが「黙れ! そんなことなど関係ない!」と吐き捨てたためである。う~ん、理不尽……。
「半亡者とはいえこうも館内をウロつかれると目障りだ」
獄卒さんは目を三角にしてそう言ってきた。つまり、わたしにここから出て行け!と言いたいのだろうか。……わぁ、結構傷つく。肋角さんから聞かされた憎まれているって話にもなかなか心が沈んだのに。でも、わたしはここにいなきゃいけないのだ。だって肋角さんにそう言われたから。
「……でも……肋角さんは自由していいって、解決するまで獄卒さんたちの目の届く範囲にいろって…」
「そうか。ならばそうするといい」
「えっ」
「肋角さんが判断を誤る事はないからな」
まるで自分のことのように誇らしげな獄卒さんの表情。きっと肋角さんのことを本当に尊敬して、慕っているんだろうなぁ。「確かに肋角さん、頭よさそうだし、強そうだし……」うんうん、そう考えてみると憧れを抱かれるタイプの上司に違いない。けど、敵には回したくない感じ。そうはいってもわたしの場合、半分敵に回っているようなものだけど。
ひとりで勝手に納得して頷けば、「……他にも挙げてみろ」と言われた。
「えっ。ほかにも……?」
「そうだ早くしろ貴様まさか肋角さんの尊敬に値すべき点はたったのそれだけだとでも言うつもりか」
「ひっ……い、いいえありますたくさん!……き、筋肉がいっぱいあって、身長も高くて」
「それから」
「……顔もかっこよくて、……声も素敵で、キセルを吸う姿もさまになって、……」
「それから」
「ええと……た、頼りがいがあって……筋肉が……いっぱい……」
もうむり。血走る勢いでギンギンの目に食い入るように凝視されるなか、冷静に考えるなんてこと、わたしにはできない。一生懸命に頑張りました。努力が伝わったのかはわからないけど、幸いにも獄卒さんは満足してくれたようで「……半亡者のくせに、見る目はあるようだな」って。しかめっ面がいくらか緩んでいる。……あれ、もしかしてうまいこといったのかなぁ。
「だが図に乗るなよ。肋角さんを真に理解出来るのは俺」
「なーなまえ。強面挙げんの忘れ」
「平腹ァァア!!」
獄卒さんの機嫌がよくなったとホッと胸を撫で下ろした。というのに、空気を読めない平腹さんによって、彼は次の瞬間にはすっかり元通りだ。狂ったように大声を上げた獄卒さんは、トゲトゲバットを勢いよく振り回し、それが平腹さんの顔に直撃した。ぐちゃって耳を塞ぎたくなるような音がして、すぐ隣に立っていたわたしの頬にピッと生暖かい液体がかかる。そのまま床に倒れた平腹さんは、それからも獄卒さんにしばらくバットで殴られ続けていた。あまりにグロテスクな展開に、わたしはただただ茫然とするしかない。