哀をまじなう

 上辺だけで本質的なものが伴っていなかったのだろう。両親の言葉を鵜呑みにし、ただひたすら敷かれたレールの上を歩んできた。言われるがままにアポロにつき従ってきた。それが己の意思で、己の選択であるのだと思っていた。ずっと信じていた。信じてやまなかったのだ。そう仕向けられていたとは気がつかないままに。或いは当人にはそのつもりはなかったのかもしれない。
 脆い本質は、些細なことで音を立てて崩れ落ちてしまった。

 なまえが物心ついたときにはすでに、両親はサカキという人物を大層崇拝していた。彼を狂信し、従順に命令を遂行する。それがたとえ非倫理的なことであっても、世界を敵に回す行為であっても、サカキのためであるのならばなんの躊躇もなく実行してきた。神を崇めているかのようにひれ伏し駒となって働いていたのである。
 まるで狂気だった。そんな親の背を見てなまえは成長した。それがなまえにとっての日常だった。紛れもなく生活の一部であり、そうあるのが普通なのだと思っていた。気がつけば、なまえは崇め奉るべく存在の背を追うことが当然で、また身を投げうつことが当たり前であるという思念を有していた。

なまえもロケット団のために生きるのよ。わかるわね? 貴女はロケット団のために生き、そして死んでいくの」

 年端もいかぬころから、そう言われ続けてきた。貴女のいるべきはロケット団で、ロケット団のために生を全うすることが人生なのだと。それ以外なにも持っていない、、、、、、、、、のだと。優しい声音で、絵本を読むごとく、歌を歌うごとく言い聞かせられてきた。まだ幼かった純真無垢ななまえの心は見えない闇にじわじわと侵食され、やがて真っ黒に塗りつぶされた。じっくりと時間をかけ、確実にどす黒く形作られていった。
 子は親を模倣して育つものであり、親が総べてである。親の言うことが絶対的で、なによりも説得力を持つものである。呪詛のように繰り返し諭されれば、それはなおさらなまえのなかで疑いようのない事実として認識されてしまう。外界から隔離され、ロケット団のなかで生活を送ることを強いられてきたなまえにとっては、そこが己の世界であると錯覚を抱くようになった。
 しかし今から三年前、サカキがレッドという少年に敗北し、ロケット団は一時解散するという不測の事態に陥る。

なまえ。貴女はアポロ様に従うの。私達にとってサカキ様が総べてだったように、貴女はアポロ様が総べて。わかるわね?」

 サカキが行方をくらますのと同時に、団員のなかでも後を追うように姿を消すものがいた。その内になまえの両親も含まれる。彼らはなまえの前から消える直前まで呪いを残していった。
 両親がいなくなり、一度とはいえ解散したロケット団。自由意思を持つことを許されぬまま敷かれたレールの上を辿るだけだったなまえは、両親の残してくれた最後の言葉だけが頼りだった。もう二度と会うことも話をすることも叶わないことは悲しかったが、それ以上に頼りとするべく存在──アポロがいることにひどく安堵した。これで大丈夫だと確信した。実際アポロのカリスマ性は確かなもので、なまえは余計に彼にのめり込んでいく。
 バトルが不得手で犯罪に手を染める覚悟もなく、任務を完遂することはなかなか難しいなまえだったが、それでもつき従える存在がいたことはまごうことなく救いだった。
 ロケット団は拠点をカントー地方からジョウト地方へ移し、再結成した。三年の年月を費やして着実に力をつけ、規模を大きくし、サカキを迎える下準備を整え始める。その先導者が、まぎれもないアポロだった。

「ようやくここまで至ることができました。長かった……しかし、あともう一息です」

 なまえはアテナから頼まれていた連絡をするためアポロの自室を訪ねている。扉の前に立ち、ソファに腰かけ物思いにふけっていたアポロを見つめていた。神妙な面持ちとその発言を聞くに、彼はどうやらこの三年間のことを思い返していたらしいと察知する。
 実に密度の濃い三年だったように思う。サカキが去り減少した団員数を全盛期のころと遜色ないほどまで集め、規模を膨らませたのだから。だが、アポロは満足していなかった。ロケット団はサカキなくして成り立たないという確固たる信念を持っているからだ。
 なまえはアポロのその発言にうなずくと、満面の笑みを浮かべる。彼の声音は常のように単調なものだったが、表情は感極まっており、うれしくなったのである。アポロの喜ぶ姿はなまえにとって糧となる。盲目的に背を追っている立場である以上は当然のことであろう。

「アポロさま。サカキさまは、戻ってきてくれるでしょうか?」

 そう懸念を口にするなまえに、アポロは立ち上がった。振り返り彼女の姿を捉えたその双眸はぎらりと燃え上がる炎を纏い、決して反抗を容認しない色を揺らめかせている。
 なまえがアポロを盲信しているのと同様に、アポロはサカキに畏敬の念を抱いている。厳密に言及するとそれらは似ても似つかないが、対象を敬い心血を注ぐ、という観点では共通点もあると言えよう。「ええ。我々の声が届けば、きっと。そのためにはラジオ塔を乗っ取らなければ」アポロはそう答えると、なまえの眼前に移動し、続ける。

「恐らく、アジトの壊滅に関与した二人も現れるでしょう」
「……!」
「心配には及びませんよ。サカキ様が戻られるまで、我々は突き進むだけ。あの時の栄光を取り戻すのです。……その邪魔はさせない」

 己の言葉に唇を引き結んだなまえに気がついたアポロは、その獰猛な眼差しを携えたまま、彼女の頭を撫でる。有している雰囲気の割に優しい手つきだった。
 なまえが静かにうなずくと、アポロの指先が流れるように髪をすくい、頬を伝ってから顎の下へと移る。そのまま上を向かせるように持ち上げられ、ふたりは見つめ合った。「私にはサカキ様が総べて。あの方無しにロケット団は成り立たない。この三年間、私自身が皆を先導してきましたが……やはり、最盛期よりは劣っている」ぽつりとそう呟かれ、なまえはハッとした。どこか苦しそうな姿に、反射的に口を衝いて言葉が出る。

「わたしには、アポロさまがすべてです」

 はっきりとそう断言したなまえを、アポロはじっと凝視する。迷いのない眼だ。嘘偽りのない本心。そのことに、どうしようもなく高揚感を抱く。
 アポロにとってなまえとは決して有能なしたっぱではないものの、傍に置いておくと不思議と勇み立てる気がするのである。不可能なことなどないのだと闘志を燃やし、一片の抵抗も許さない、暴虐の限りを尽くす気力が湧いてくる。真価を示せるように思えるのだ。己の突き進む道を否定せず、身命を賭すなまえは彼にとっての拠り所であるとも表せる。アポロもまたサカキに狂信的であったため、総べてを受け入れ支持するなまえの存在は精神的支柱のように感ぜられるのであった。
 アテナはどういうわけか逐一アポロになまえのことを報告するのだが、そのように眼をかけている理由が理解できた気がした。なまえはいい意味でも悪い意味でも、その対象の本能を揺さぶる特徴を有しているのだ。ゆえに、手離したくない。サカキがロケット団に戻るその瞬間を、なまえとともに見届けたかった。なまえが隣にいることに意味がある。そしてその先もまた同様に、ともにロケット団として生きていきたかったのである。

「そう言っていただけて幸栄ですよ。……なまえ、お前はロケット団の再始動が叶うその時まで、付いてきてくれますか?」

 否定される可能性などなかった。それでも、アポロはなまえの言葉を欲した。

「はい。わたしの居場所はロケット団だけですから」

 ロケット団の完全復活を、この手に。