01


 MTTリゾート内で開店しているバーガーショップにて、身を粉にして働くひとりの青年がいる。しかし彼は今、食事どきでなく店内に客の姿が見当たらないことをだしに雑誌を読みふけっていた。加えて喫煙中である。店内にはほのかな煙草の香りが漂っているが、彼は換気扇回しゃ問題ないだろ精神で吸っているのであった。
 業務中らしからぬ態度を彼の上司が許すはずがない。それは本人も重々承知していた。だがその上司がいなければそもそも留意する必要性もないし、見つからなければどうということはない、というのが彼の社会的に問題のある持論である。
 そう、メタトンは現在、ホテルを留守にしているのだ。テレビを点ければその姿を拝めることだろう。
 勤務しているなかで唯一の、至福の時間であった。穏やかな時間をこれ以上ないくらい存分に噛みしめていると、なんの前触れもなく突如として幕が下ろされた。客が来たのだ。ぎくりとした青年───バーガーパンツは慌てて口を開く。

「ようこそ、元祖グラムバーガー……な、なんだなまえか」
「……来ちゃだめだった?」
「つーか、いや、そうじゃなくてよ……」

 訪ねてきた人物は、商品を買い求めて来た者ではなかった。バーガーパンツはひくりと口を引きつらせる。「お前さァ、あれなんだって」言い淀む彼の姿に、なまえは首をかしげた。当然ながらあれ、、で通じるわけがなかった。なまえが先を促すようにバーガーパンツを見つめてみれば、彼はしぶしぶと続ける。

「あんまここに顔出さない方がいいって。まあオレは別に構わなくもないんだけどな、そうでもしないと後が怖いだろ」

 目まぐるしく表情を変えつつそう言った様子を見るに、なにやら後ろ髪を引かれる思いがあるらしい。

「メタトンは公演中だよ?」
「けどなんか妙なところで鋭いんだよな。今すぐにでもそこの扉を開けて、生放送っつー体で飛び込んでくるかもしれないしよ」
「なんだかとてもリアリティのある話」
「あーオレも自分で言ってて恐ろしくなったわ」

 ジョークとはいえ鮮明に思い描ける光景に、ふたりは顔を見合わせ苦笑した。と同時に、小さく開かれたなまえの口から鋭利な歯牙が姿を覗かせる。犬歯に相当する部分に生えている、なまえの特徴とも言える歯牙である。バーガーパンツの視線がついそこに釘づけになった。
 なまえはいわゆる吸血鬼である。
 過去における吸血鬼に対する偏見は目を見張るものがあった。とある事件を皮切りに、今でこそ時間の流れとともにその風潮は沈静化してきているが、しかし長い年月をもってしても完全に隔たりが解消されたとは言えない。未だに距離をとろうとする者は一定数いるのである。だからこそなまえは、外出時は可能な限り他人と遭遇しない時間を選ぶことが多かった。
 ただ、こうして日中ではないにしても地下世界が完全に静まり返る深夜以外に外に出られるときがある以上、少しずつではあるが他モンスターとの関係性が修復されつつあると考えられている。アズゴア王もこれにはニッコリである。
 そんな色眼鏡で見られやすい種族であるなまえにとって、バーガーパンツはラボの外で初めてできた友達といえる。ふたりの出会いは事故のようなものだったが。
 端的に表すとすれば、運がなかったのだ。バーガーパンツの運がなかった。圧倒的に、破壊的に、壊滅的なまでの不運。
 彼はなまえに吸血された身だった。
 ある日の仕事帰りのこと。心身ともに薄皮一枚ほどに擦り減ったバーガーパンツは、道すがらに妙な物体を発見した。うつ伏せている物体だ。彼は昔からなにかと面倒ごとに巻き込まれる性質だったので、直感的に関わるべきではないことを察する。「何も見てねーぞ……オレは何も見なかったんだ……」独り言を呟きながら塊を回避するように歩けば、不意にとある音が聞こえてきた。ぐうううう、という悲しげな音が、物体から発せられていたのだ。それは腹を空かせていた。
 バーガーパンツは足を止めた。それから周囲を見渡したが、モンスターの影ひとつすら見当たらない。つまり、この場には彼と物体しかいないということである。冷や汗が止まらなかった。
 留まっている間も絶え間なく鳴り響く空腹音。この場に残留すればするほど、無視したのちの良心の呵責に苦悩する気がした。そしてとうとうバーガーパンツは、物体に近づき屈んでしまったのである。「……お、おい、お前。大丈夫か?」そう声をかけると、物体はぴくりと身体を反応させた。幸運にも、彼はMTTバーガーで売れ残った商品を持ち帰っていたので、ポケットからそれを取り出す。

「余りもんで悪いけど、とりあえずこれ食えよ」
「……ち、……ちが……」
「違う? なんだよ、グラムバーガー苦手なの? オレこれしか持ってねーぞ」
「ち……」
「おー。まず起き上がった方がいいぜ」

 酷く緩慢な動作で身体を起き上がらせた物体は、これ以上ないほど絶不調な様子だった。顔色が悪く、呼吸も乱れている。加えて目が据わっていた。「……しばらく飯食ってねーって感じか?」バーガーパンツは勘違いをした。
 ほら、とグラムバーガーを持った手を差し出す。生死の境をさまよっているかのような物体───もといなまえは、目の前にある見たことのない紫色の食べ物に視線を下ろした。かのようにバーガーパンツには見えた。実際は新鮮な血液が巡っている手を凝視していたのだが、今目の前にいる相手の正体を知らない彼は気づけるはずがなかった。

「にしてもお前、この辺じゃ見ない顔してんな」
「……」
「……なァ、いいから食っとけって。そうそう、取って───いっ!?」

 バーガーパンツは混乱した。なにせ相手はグラムバーガーを手に取らず、自らの手に噛みついたのだから。「え、お、お前……何して……」じくじくとした痛みが広がる。皮膚を突き破り体内に侵入してくる異物の感覚に顔をしかめた。さらにはちゅうちゅうと吸われる感覚に頭が真っ白になった。
 しかし、どういうわけか振り払うことができない。というのも、噛みつかれているところから感じたことのない不思議な感覚に侵食されていたからである。手から腕を伝い、腰から這い上がるぞわぞわとした、変な気分になる感覚だ。
 つまるところ、バーガーパンツは快楽を得ていたのだ。不本意ながら。
 時間の経過がやたらと長く感じられた。実質数秒のところが、数分にも数十分にも思われた。
 やがて目に生気が宿り始めたなまえが、手に歯牙を突き立てた状態で我に返る。と同時に、彼女は彼女で自らの犯した失態に頭が真っ白になった。
 吸血をやめ視線を上げてみれば、微妙な表情を浮かべた見知らぬ青年と目が合った。なまえはちょっぴり泣いた。それから弾かれたようにバーガーパンツから距離を取り「ご、ごめんなさい、本当に、わざとじゃなくて、あの」とわあわあとまくし立て、そして一方的に謝罪を押しつけ猛ダッシュでその場を立ち去ったのである。
 密度の濃すぎる時間がよくわからない内に終わった。あまりに非現実的な出来事が起こり、自分は夢でもみていたのだろうかと思うほどだ。しかし地面には自分が差し出したはずのグラムバーガーが落ちているし、手には吸血痕が残っているしで、バーガーパンツは「あ、これ夢じゃねーや」と乾いた笑い声を上げたのであった。
 というのがふたりのファーストコンタクトだ。
 バーガーパンツは煙草の煙を吐き出しながら、嬉しいのか悲しいのか判断に悩む初対面のときを思い出した。それから再度、無意識的になまえの歯牙に目をやる。これは彼の癖のようなものだった。吸血されたのは初めて顔を合わせたときの一度きりだが、どうも当時の形容しがたい感覚が忘れられない。意識せずとも身体が覚えているようなものだ。
 ただ、なまえは彼のその癖にあまりいい顔はしない。現に今もバーガーパンツの視線が自分の歯牙に向けられていることに気がつき、複雑な顔をして笑顔を引っ込めてしまった。なまえは吸血鬼である自分が嫌いなのだ。

「ごめんね、嫌なもの見せちゃった」
「いや、別にそういうわけじゃ……ねーけど……」
「……あのときのこと、怒ってる?」
「その質問何回目だよ」
「そ、そうだよね。ごめん」
「ンな謝らなくていいっての。これ言うのも何回目だろうな」
「……うん。そうだった」

 肩を落とすなまえを一瞥し、バーガーパンツは複雑な心境になる。このやり取りも見慣れたものだ。
 バーガーパンツが過去に吸血された経験をどこか気持ちのよかった一種の依存として消化しているのに対し、なまえは生きていくためには血を取り込むという行為が不可欠なものであることに嫌悪を抱いている。互いの求めているものが食い違っているせいで生じてしまっているといっても過言ではない。「……ね、聞いて、バーギィ」なまえにとってバーガーパンツはラボ外における初めての友達である。だからこそ思い入れが強く嫌われることを極端に恐れていた。

「わたしね、こうして外で話ができるひとって少なくて……でね、わたしにとってあなたはやっとできた友だちだし、だから、あの……嫌われたくないし、それに、もっと仲よくなりたいって思う」
「……」
「あなたのこと、本当に大切に思ってるし、あと」
「待った。それ以上はやめろ。やめてください」
「え、え、なにか変なこと言った?」
「……や、変なことっつーか……ぐぐぐ……」

 バーガーパンツはカウンターに突っ伏し悶えている。その衝撃で頭に乗せていた帽子が落ち、床の上に転がった。なまえは慌ててそれを拾い上げるが、なぜ彼に話の途中で制止されたのかが分からず困惑した表情を浮かべている。熱烈な思いを伝えたなまえに他意はなかった。
 ぴくりとも動かない相手をなまえは心配そうに見つめることしかできない。バーガーパンツはなかなか顔を上げられなかった。結局、彼は顔を伏せたまま「……それによォ、オレなまえのこと別に」と慎重に言葉を選びながら言う。

「き、嫌いじゃ、ないしな……うん」
「じゃあ、好き?」
「すっ!?」

 大げさに反応を示したバーガーパンツは思わず顔を上げた。するとなまえに帽子を差し出され、不安そうな顔で再度問われる。「好き?」身体中から汗が噴き出した。震える手で帽子を受け取りつつ、暴れ狂う心臓を落ち着かせるためニコチンを摂取する。
 頭の上に帽子を乗せ直し、熟考。たっぷりの沈黙ののち、彼はやがて意を決したような面持ちで口を開いた。

「……す、……スゥウーッ」
「ひと~つ。業務中の私語は慎むこと」

 バーガーパンツは見た───なまえの後方から、この場にいないはずの人物が満面の笑みを浮かべながら現れたのを。ついでに耳障りな金属音まで聞こえてくる。「ふた~つ。店内での喫煙は禁止。……そうだよね、バーギィくん?」恐ろしいまでに丁寧に、ゆっくりと、一語一語が紡がれる。「非行。職務怠慢。さらにそれだけでは飽き足らず忍び逢いに現を抜かすとはねえ。僕が留守にしているのをいいことに。背徳感にでも酔いしれたかったのかなあ?うんそれは実に殊勝なことだねふざけろよ」メタトンはキャラクターを忘れているようだ。
 顔面に感じた一瞬の風。次の瞬間には咥えていた煙草の先端が切り落とされていた。バーガーパンツは眼球が零れ落ちそうなほど目を見開き、視界の端で唸り声を上げるチェーンソーに全身の毛を逆立たせている。彼は何もかもを捨て去って消えたくなった。

「メタトン」
「……ああ、なまえ。ただいま」
「メタトン。どうして」
「た、だ、い、ま」
「お、おかえり」
「うん。飛んで帰ってきたんだ。かわいいかわいい従業員が寂しがっていると思ってね」
「い、いやぁ~、お疲れさまっした、へへ」
「君の発言を許可した覚えはない」
「……」
「さ、なまえ。そろそろ帰ろう。きっとアルフィーも心配してるよ」
「メタトンも帰れるの?」
「僕は君をラボまで送るだけさ。またどこかで倒れられても困るからねえ」
「そ、そんなことしない! ちゃんと水筒持ってきてるのに」
「はいはい。いいからおいで」

 さあさあ! とメタトンに半ば強引に背を押され店から出て行くなまえの後ろ姿を、バーガーパンツは恨めしげに見つめる。「ほらな、だから言ったんだ」と心の中でひとりごちながら。
 しかし扉が閉まるその直前、隣に気づかれないように振り返ったなまえの口の動きが「またね」と言っており、そんなちょっとしたことで救われた気がするのだからどうしようもない。