03


 メタトンはスターである。
 TVショーの企画主催、MTTリゾートの経営、メタトングッズの製造販売、エトセトラ。彼は地下世界において数少ない娯楽を提供している人物の内のひとりであり、行く先々でファンであると名乗る者も多い。ただ、メタトンは現状に満足していなかった。もっと高みを目指したい。いずれは世界を自分一色に染め上げたい。そんな野望が彼にはあった。
しかし、そのようにエンターテイメントに情熱を注ぐメタトンが、とある悩みを抱えていた。ここ最近のなまえの様子が明らかにおかしいのである。
 一日の活動を終え真ラボに顔を出しても、どこか元気がないようだった。会話は成立するものの、時折ぼんやりと考えごとをしているかのように物思いにふける姿がみられる。幾度となく何かあったのか訊ねてみたが、いつも答えをはぐらかされ、明確な返事をされたことはない。
 正直、メタトンは傷心していた。なまえが頼れるのは自分しかいないと思っていたからだ。
 だが、いくら悩みごとを抱えているとはいえ仕事に影響させるような人物にスターは務まらない。メタトンはただ無心に、ひたすらに仕事に励んだ。彼はやるときはやる男でもあった。しかしながらあまりに熱心な様子が“何かあった”ということを暗黙のうちに周囲へ知らしめていたことを彼は知らない。
 そしていつものように、MTTバーガーで働くバーガーパンツを新商品開発の味見役としてこき使っていると、彼が興味を引くことを言った。「吸血鬼っていると思います?」いつものメタトンならろくに取り合わない場面だったが、今回はそうもいかない。聞こえた単語が悩みの種であるなまえを彷彿とさせるものだったから、つい反応してしまう。

「……悪いんだけど、もう一回言ってもらえるかな」
「吸血鬼っすよ、吸血鬼」
「……いきなりどうしたんだい? まさかその吸血鬼とやらを見たって?」
「いやオレも夢だと思ったんすけど」
「……」
「見てくださいよ、これ。この傷。噛み痕あるでしょ?」
「……。いいからそのよく回る口を閉じてさっさと毒見しろ」
「え、毒? 冗談ですよね? ハハハ」
「あはは」
「え、どうして笑ってモガァッ」

 見せられた手には確かに吸血痕が残っており、そういうことかと呟く。メタトンはこのところなまえの様子が目に見えて奇妙だったことに合点がいった。それからラボに戻ったのちどのようにして追求しようか考えながら、試作品を次から次へとバーガーパンツの口に突っ込んだのだった。

「───まあ、つまりね。僕が何を言いたいのかっていうと」

 ところ変わって真ラボ。「なまえ。君、吸血したんじゃない?」メタトンは蛇腹の腕を組み、やけに高圧的な態度でなまえの前に立っていた。
 どうしてばれたのだろう。そんな表情を浮かべたなまえの目は泳いでいる。それから、なんて意地の悪い質問をするのだろうとも考えた。メタトンの言葉は疑問形でありながらも確信を得たものだったからだ。

「……もしかしたら。そうかもしれない」
「かもしれない……? 違うでしょ?」
「そうかもしれなくない……」
「そうだよねえ」

 わざわざエネルギー効率が悪く改善の余地がみられる状態、いわゆる未だ試作段階のEX形態で向かい合わせになっている点、居心地が悪かった。よほど頭に来ていて箱形に戻るのを忘れているか、あるいはただ威圧感を与えるためか。残念ながらなまえにメタトンの心は読めない。
 しかしなまえも、あれは事故であって決して自分から望んでしたことではないと主張した。だからこそ見ず知らずの青年を吸血してしまったことに対して罪悪感で押しつぶされてしまっていたし、そうは感じながらも心の奥底では血をおいしいと思ってしまった自分に嫌悪したことを話した。メタトンの表情はぴくりとも変化しなかったが。どうやら情に訴えかける作戦は一切通用しないらしい。
 そもそも、あのときなまえがバーガーパンツと出会ってしまったのは、彼女がアズゴア王のもとへ行こうと外に出たことが発端であった。なまえは王に感謝しており、ひと通りの少ない時間を見計らっては時折彼の城へ訪ね、お茶会に参加しているのだ。なまえが飲むのは持参した人工血液であることを除けば、なんら普通のお茶会だ。
 アズゴア王は広い城でひとり寂しく過ごしている。なまえの境遇と少しだけ似ているところがあり、ふたりは妙に意気投合した。
 問題は、そのお茶会ののちの帰り道だった。すっかり静まり返っていた道を歩いていると気がついた。水筒が紛失したのだ。その中身はもちろん人工血液であり、なまえのソウルと同じくらい大切なものである。それに中身が中身なだけあって、誰かが拾って内容物を確認されたら騒動になることは目に見えていた。なまえは焦り、慌てて自分が通った道の隅々を探し回った。
 その結果、途中で空腹のあまり倒れたのである。そしてそこへバーガーパンツが不運にも通りかかり、以降はみなが知る展開となったのだった。
 一連の流れを把握したメタトンは結論づけた。やはりなまえは外出を控えた方がいいと。

「うん。じゃあ、これに懲りたらもう外へは」
「彼と友だちになりたい」
「出ない、方、が……」

 そして頭を抱えた。どうしてそうなるんだ。彼はそうこぼした。

「血をね。……飲んだから、わかったことなんだけど」

 彼はいいモンスターだとなまえは言い切る。対して、吸血しただけでそんなことがわかるものかとメタトンはごちる。するとなまえは「血液はその人間やモンスターたちの身体を構成するものだから。なんとなくだけどね、わかるの」と続けた。メタトンはこのとき、血を巡らせている生物がちょっとだけ羨ましくなり、初めて自分の身体が機械であることをもどかしく思った。
 だがメタトンはバーガーパンツを雇っている身だからこそ、いい得て妙ななまえの言葉に反論することができなかった。日ごろの扱いは雑ではあるが、バーガーパンツのことは悪い奴ではないと思っている。ところどころ目に余る部分はあるものの、心根はそう腐っていない。それがメタトンの彼に対する評価だった。

「ね、メタトン」
「なに?」
「どうしてわかったの?」
「なにをかな」
「わたしが吸血してしまったこと」
「……スターである僕に不可能はないんだ」
「うそ。誰かから聞いたんだよね」
「……」
「メタトン」

 いつのまにか形勢逆転だ。メタトンはなまえを拘束するつもりが、むしろ自分が追いつめられていることに気がついた。しかし面白くないことを訊かれて馬鹿正直に答えてあげるほど彼は素直な人物でもなかった。こちらを見つめてくる双眸をさらにじっと見つめ返し、どちらも逸らさないまま膠着状態が続く。

「…どうして」

 やがて、メタトンが口を開いた。眉間に皺が寄せられ、難しい顔をしている。機械でできた身体なのに表情豊かであるのは、さすがアルフィーといったところである。

「どうしてそこまで友達を欲しがるのか教えてよ。ここにいれば僕がいる。……それにアルフィーだって」
「うん。メタトンとアルフィーには、本当に感謝してるよ。こんな言葉では表せきれないくらい」
「それなら!」
「……でも。そうなんだけど、……」

 寂しかった。なまえは俯き、そう呟いた。

「ふたりがここに来て、たくさん話をしてくれて、当たり前だけどラボの外にも世界は広がってることを実感したの。……それにね、メタトンやアルフィーには友だちがいるけど、わたしにはあなたたちしかいない。それって、とても怖いことだと思うようになって……」

 見捨てられてしまったら、また独りになってしまうことが恐ろしかった。メタトンやアルフィーにそのつもりは毛頭なかったが、なまえにとってはいつ自分が見限られてしまうか気が気でなかったのだ。まして過去の経験のこともある。「孤独って、とても怖いし、それに悲しいものだよ。……だから、友だちがほしかった」ごめんなさい、とついには謝罪までされ、メタトンは自分がなんだかとても申し訳のないことをしてしまったかのような感覚に見舞われた。

「僕は見捨てたりなんかしない」
「うん。そんなことしないってわかってるんだけど」
「……わかってないよ」
「……そう、なのかもしれないね。ごめんなさい」

 メタトンは溜息をついた。それから顔を青ざめさせているなまえを一瞥し「別になまえを責めてるわけじゃない」と言う。だが、なまえにはとてもじゃないがメタトンが自分のことを責めていないとは言い切れないように感じられた。言葉の節々に棘があり、無遠慮にぐさぐさと突き刺さしてくるのだ。

「信じられないって顔してるね、なまえ
「……」
「さっきの言葉に嘘偽りはないんだけど」
「そう言うのなら、どうして」
「単純に、面白くない。それだけさ」

 メタトンは開き直ったようにそう言った。悪びれる様子なんて皆無も皆無。それどころかむしろ完璧なまでの笑顔を張りつけるというサービスつきだ。なまえは今度こそ言葉を失った。「……メタトン。あなたってもしかして、その……意地悪。だったの?」困惑し視線をさまよわせながら問えば、彼はきょとんとしながら小首をかしげる。

「意地悪? なまえは僕が意地悪だから、こういうことをしてると思ってるの?」

 そうなんじゃないの? とは言えなかった。わざわざ訊ねてくるということはつまり、そういうことではないのだとなまえにも理解できたからだ。結局、彼女は何も答えられない。
 メタトンは暫し考える素振りを見せると、おもむろになまえの前に屈んで言った。「さて。ではここで問題です」なまえは突然すぎる展開に目を白黒させるが、メタトンのことだからきっと何か意味があるのだろうと考え必死に雑念を追い払う。「僕となまえって、一体どういう関係性にあるんだろうね?」彼は長い腕を器用にしならせ、頬杖をつきながら問いかけた。

「友だち。だと思ってたんだけど……え、え、ちがったの、メタトン」
「……いいや、違わないよ。友達だ。じゃあ、どんな?」
「い、一番目、の……最初の」
「……。うん。そうだね」
「あの、メタトン」
「……。うん。わかった。決めた」

 何かを決意したかのような表情でメタトンは「わかった」と繰り返す。なにがわかったのかを訊ねようとなまえが口を開こうとしたら「いいよ。友達つくりなよ。彼───なまえが吸血した奴のことも教えてあげる。あとは煮るなり焼くなり、なまえの好きにしたらいい」と、先ほどまで友達づくりに大反対をしていたはずのメタトンが唐突に意見を変えたのだから、なまえの気分は高揚しうなぎ登りだ。

「本当に? いいの?」
「そこまで嬉しそうにされると前言撤回したくなるなあ……。だって、そんなのクソくらえだっていうのが僕の本音だから」
「え」
「……ジョークだよ」
「メタトン。それね、たぶんジョークって顔じゃないよ」

 それからというもの、なまえは自分なりに頑張ってバーガーパンツと友人となることに成功を収めたのである。
 しかしながら、別口で新たな問題を抱えることにもなっていた。
 メタトンからバーガーパンツのことを教えてもらったあとのことだ。「わたし、友だちはほしいと思ってるけど、でも一番の友だちはメタトンだよ」その言葉にメタトンは複雑そうな顔で歯切れの悪い返事をしてみせる。

「……ねえ、なまえ。この際だから言わせてもらうけど」

 そして、やや苦悩した様子を見せてから思い切ったように断言した。

「僕はなまえの友達をやめたい」

 予想だにしなかった発言に、なまえは鈍器で殴られたかのような衝撃を受ける。なんで? どうして? 頭が真っ白になり、言葉がうまく出てこない。だが当時のメタトンの面持ちは真剣で、間違っても冗談で口にした発言ではなかったということが伝わってきた。彼はその後満足げに真ラボから出て行ってしまい、なまえは状況の整理がつかないままにぽつんとひとり取り残される。
 なまえはあのとき、メタトンが言っていたことは本気なのだろうかと、そればかりが気がかりで生きた心地がしていないのだ。