05


 数千年に渡る歴史の転機だ。
 突如として地下世界に落ちて来たひとりの人間は、平穏で平和な幕引きを選択した。明確な殺意に突き刺されても友達になる道を選択した。その手を灰塵に被らせない未来を選択した。
 これはいわゆるハッピーエンド、、、、、、、の話である。
 封印が破壊されたあとの地下世界は大層な賑わいを見せている。地上に進出する決意をする者。地下に留まる決意をする者。みなが将来を展望し、それぞれの目指すべきところへ向かって歩み始めようとしていた。
 なまえはと言えば、おずおずとラボに上がってきており、周囲を見渡している。しかしどうやら誰もいないらしい。常ならばアルフィーやメタトンがいるはずの一階はもぬけの殻だ。
 異様に広く感じる空間に寂しさを感じていると、扉の開く音ののちに弾んだ声色で名を呼ばれる。振り向けばメタトンがこちらに向かって走って来た。その身体はEX形態のようだ。

「メタトン」
「見てよ、なまえ! アルフィーが僕の身体を完成させてくれたんだ」
「完成?」
「うん。これでエネルギー消費のことは心配しなくて済むってこと」

 メタトンEXはかねてより一種の外形として存在していたが、それは試作段階で完璧とは言いがたい状態だった。バッテリーの残量を気にかけなければならず、日常生活においてその形を維持するには少々問題があったのだ。だがアルフィーの手により完全体となれたのならば不安要素は払拭されたと言える。だからメタトンは目に見えて上機嫌なのである。

「そう。……メタトン、ずっと待ちわびてたもんね。おめでとう」

 にこやかにそう言ったなまえを見て、彼は蛇腹の腕を存分に伸ばし身体に巻きつけるようにして抱きしめた。ぎゅうぎゅうと金属製の身体に押しつけられ、痛みがないと言えば嘘になる。だが、なまえはそれ以上に嬉しかった。メタトンの夢がまた一歩現実に近づいたのだから。彼がどれほどの熱意を持っているのかをなまえは知っていた。
 そっと抱きしめ返し背を撫ぜると、力が強まり一層ぴたりと密着する。

「……話したいことが山ほどあるんだ。聞いてくれるかな」
「もちろん。わたしでよければ、なんだって聞くよ」
なまえならそう言ってくれると思ったよ」

 メタトンは話し始めた。人間と戦って敗れたこと。劇団をつくり、地上で公演をすると決めたこと。今まで起こったことの全てを包み隠さず話した。

「誰かと舞台に立つ楽しさ……それを、人間が思い出させてくれたんだよ。やっぱり、彼らは最高だね。この僕が尊敬するだけあるよ」

 メタトンは幸せそうだ。

「……そういえば。なまえは結界が開いたこと、知ってたかい?」

 ずっと真ラボにいたんだろう、と訊ねられ、なまえは頷いた。「結界のことは、今メタトンから話を聞くまで知らなかった。……でも、どうしてだろう。たぶんね、こうなることをわたしはわかってたんだと思う」そう話しながら、なまえはあのとき、真ラボにて出会った彼のことを思い出していた。決意を体現化したような存在の彼を。
 その発言にメタトンは違和感を抱き、訝しげな顔をしている。互いに表情の見えない状況では、その心理を探ることは難しい。「……ね、メタトン。わたしも、あなたに聞いてもらいたいことがあるの」結局なまえはメタトンの変化に気がつかないまま畳みかけた。

「友だちができたの」
「……え」
「それに、今回はね。わたしからじゃなくて、むこうから言ってもらえて、わたし本当にうれしくて。だって、そんなこと初めてだったから……」
「え?」
「あと、握手までしてもらえた……! 彼の手、とても温かかった」
「ちょっと。なまえ
「そう、あと、あとね、デートにも誘ってもらえて」
「なにそれ」

 メタトンはなまえの肩に手を置き、べりっと自分の身体から引き離した。なまえはよほど興奮しているのか、頬をほんのりと紅潮させている。輝いている瞳からは尋常ではないくらい感動していることが窺えたが、相反してメタトンの顔は歪み切っていた。その表情を目にして今度はなまえが頭の上に疑問符を浮かべた。

「……なまえ、君は……どうしてそう、いつも、僕のいないところで……」

 メタトンは項垂れながら喉奥から絞り出したような声で呻いている。なんだかとてもつらそうだったので、なまえは思わず手を伸ばし彼の頭を撫でてあげた。

「メタトン。わたし、前にあなたに話したはずだよ。友だちがほしいって。そしたら」
「僕は“友達つくりなよ”って返した。……そう言いたいんだよね」

 メタトンは自分の頭を撫でるなまえの手を取り、動きを制する。そして重いため息をつきながら「そう思ってることは確かだ。……でも、心のどこかでは気に食わないとも思っちゃってね」と言った。なまえの細い手首を掴み、表皮をすりすりと指でなぞりながら気まずそうに視線を泳がせている。
 暫しの沈黙ののち、メタトンは意を決したようになまえの目を真っ直ぐに見据えて口を開いた。

「いいかい、なまえ。勘違いはしてほしくないんだけど、これは何も意地悪でしてるわけじゃない。……むしろ、僕はなまえのことをどろどろに溶かすくらい甘やかしたいとすら考えてるんだから」
「……わたし、溶かされちゃうの」
「……」
「メタトン。そこは否定するところ」
なまえ。僕の話を聞いて」
「え、あ」

 腰に手を添えられ、ぐっと引き寄せられる。思えば、ふたりがここまで身体を寄せ合ったことは今までになかった。なまえは途端に今自分が置かれている状況が途方もなく恥ずかしいことのように思えて、硬直せざるを得ない。

「さっきも話したけど、僕はこれから劇団に入ってくれたみんなを連れて地上に出るつもりだ。……そして、本物のスターになるんだ」

 時間はかかってしまうかもしれないけど、とメタトンは珍しくも自信なさげに言う。近距離で絡む視線は妙な熱っぽさを帯びていた。なまえは目を逸らせそうにない。

「モンスターだけじゃなくて、人間も楽しませられるようになりたいんだよ。そのために技量も身につけたいし、世界に名を轟かせもしたい……」
「……」
「でも、求めてるのはそれだけじゃない。……僕って結構貪欲でね。地上で活躍するところをなまえにも見てもらいたいんだ」

「もちろん特等席でさ」微笑みながらメタトンは話し続ける。

「……ねえ、なまえ。僕が以前、君に“友達をやめたい”って言ったこと、覚えてるかな?」

 首をかしげながら問いかけると、なまえは何度も頷き答えた。

「お、覚えてる。あのときは本当に……信じられなくて、頭も真っ白になったから」
「うん。だけど、なまえは思い違いをしてる。……まあ、僕の言い方が回りくどかったのも問題なんだろうけど」

 当時の言葉は、決して絶縁したいという意味合いで口にしたわけではなかった。メタトンとしては、友達より先にある関係に相成りたいとの気持ちがあったのだ。しかし友だちを欲していたなまえにとっては婉曲過ぎた表現だったらしい。案の定なまえはその発言を文字通りの意味で咀嚼してしまったのだから。
 メタトンは自嘲気味に笑ってみせてから、真剣な眼差しでなまえを射抜いて言った。

「あの言葉は───…要するに、僕だけのなまえであってほしいってことだよ」

メタトンはなまえがどのような反応を示してくれるのかを心待ちにしていた。だが、どういうわけかなまえはじっと見つめ返しながらゆっくりとまばたきをするのみである。

「………………」

 沈黙が息苦しい。メタトンは平常心を保っているつもりであったが、内心は嫌な汗が垂れ流しになっている。柄にもなく。
 もしやこれでも伝わらなかったのだろうか。そう考えたとき、おもむろになまえが「つ」と口にした。ようやっと反応してもらえたと安堵する反面、しかし今度はその言葉の意味が理解できない。「……つ?」気が急いて、つい前のめりになった。

「……つがい。に、なりたいの。メタトンは、わたしと」
「え」
「え。……あ、ち、違ったらいいの。その、今のは間違えたみたい…。いろいろ考えてたら、あの」
「いや。違わないよ。まったくね。全然だ」
「……そ、そう」
「……うん」

 うん、と念を押すようにメタトンは再度頷いた。そもそも“つがい”という単語がなまえの口から出てくるとは思ってもみなかった。恋人という関係に落ち着けたらと、そう願ってやまなかったのだが、まさかその段階を省略されるとは予想だにしなかったのである。ただ、長い未来を見据えればなまえの言ったような関係を脳内に描いていないわけでもない。つまりメタトンもまた気が動転しているのだった。
 そしてなまえのこの言動が果たして好感触によるものなのかどうか考えあぐねる。これで拒絶されたら格好がつかないな、そんなことを思い煩いながら。
 だが目の前のなまえの顔がじわじわと赤みを帯びてきているのを見て、絶句した。脳天を撃ち抜かれた。雷に打たれたように動けなかった。メタトンは自身のソウルが忙しなく脈打つのを感じている。

「…わ、わたし、メタトンがそんな風に思ってたなんて、気がつかなかった」

 耳まで真っ赤にしてそう言うなまえの姿は、今のメタトンには脳髄を揺さぶる刺激の強いものでしかない。体内のモータがフル駆動している。集積回路が焦げつきそうだ。

「……なまえは、嫌?」
「……ううん。そんなことない。いやじゃないよ」
「それなら、僕と一緒に来てくれるよね」
「でも……わたし、アルフィーがつくってくれた機械がないと生きていけない」
「持っていけばいい」
「……地上には太陽があるんでしょう。わたし、あれがあんまり得意じゃないのに」
「太陽を避ける方法なんてごまんとあるよ」

 なまえが口にする心配事を、メタトンがひとつひとつ除去する。すると初めはなかなか踏ん切りがつかず逡巡していたものの、なまえの面持ちは次第に明るくなっていった。

「僕はなまえと生きたい」

 極めつけに、この言葉がなまえをいたく魅了した。喜色満面で首を縦に振るなまえに、メタトンも満足そうに微笑む。

「そうと決まれば、地上へ出る準備をしないとね。一緒に暮らせる家も探そう。……ああ、あとは劇団メンバーの紹介もあるか。これから長い付き合いになるわけだし」

 ぜひ教えてほしいと笑むなまえを見つつ、メタトンはラボの扉が開くのを視界の端に捉えた。誰だろうかと視線を移せば「……ダーリン?」そこには地下世界を解放した人間が佇んでいる。彼とは自宅前で顔を合わせたのちに別れ、既に地上へ戻ったと思っていたのだが、どうやらまだ地下に留まっていたらしい。
 丁度いい、せっかくだから。そう思いメタトンはなまえのことを彼に紹介しようとした。そして「なまえ、彼があの人間だよ」と振り返らせると、なまえがなんの躊躇もなく自分の元から駆け出し人間のところへ向かったので狼狽した。そんなメタトンをよそに、なまえは喜々として人間に話しかける。

「あなた、本当に封印を解いたんだね。それってとてもすごいことだよ。……わたし、あなたみたいな人間と友だちになれて、光栄に思ってるの。心の底からね」

 メタトンにダメージが蓄積されている。

「それで、……そう、わたし、あなたの名前を聞いてなかったことを思い出して。……もしよかったら、教えてくれる?」

 メタトンは我に返った。それから呟く。「……確か、なまえは……」新しくできた友達とやらに、デートに誘われたと言っていたじゃないか!

「フリスク? わあ、素敵な名前。……ね、フリスク。わたし、メタトンと一緒に地上に出ることにしたの。だから、そうしたら」
「ねえなまえ? 何を言うつもりなの?? まさかデートのこと???」
「メタトン。新しくできた友だちって、フリスクのことで」
「今はそういうことを訊いてるんじゃないんだよ、なまえ
「地上には、楽しいところがたくさんあるんだって」
「……僕もダーリンのことは好きだけど、でもデートとなると話は別」
「メタトン。フリスクは友だちだよ」
「……」

 メタトンは頭を抱えた。この調子では前途多難な未来しか見えない。そして今後どのようにしてなまえを諭していくべきなのか考える必要があると決心したのである。