「ねえアルフィー」
「ごめん今ちょっと忙しいのよ」
「僕にはそうは見えないんだけど」
「はあ……はあ……ここでアンダインが……私にぃ……!」
「えー、なになに?……アンダインはアルフィーをベッドに押し倒すとそのまま熱い……」
「ちょちょちょっと! それ以上読まないで!!」
「ねえアルフィー」
「……な、なにかしら」
「なまえがいないんだよ」
「……」
「どうして黙るんだい」
「あー、そ、そうね。うん、なまえなら、出かけてるわ」
「どこに?」
「……さ、さあ?」
「……」
ENCOUNTER
たとえるのなら、初めてラボの外に出てアズゴア王に会いに行ったときよりも。初めてアルフィーと顔を合わせたときよりも。なまえは遥かに緊張していた。
今回は決して落とさないと言わんばかりに水筒をきつく抱きしめる。その中には念には念を込めた量の人工血液に満たされているが、時間の経過に伴い着実に減少しつつあった。空腹なわけでもないのにいやに喉が渇くのは、現在のこの状況───とある人物が通りすがるのを待ち構えている現状によるものであることは言及するまでもない。
なまえはこの道で初めて出会った人物のことを待ち侘びていたのだ。不幸にも吸血された彼と、友だちになるために。
バーガーパンツは帰路についているさなかに奇妙な視線を感じた。ついでに言うと奇妙なものは視線だけではなかった。
足音だ。何かが後をつけてきている。こちらが歩く速度を速めれば相手もまた同様にと、一定の間隔を保ちながら。
「……」
生憎、バーガーパンツにはストーキングされるような覚えはなく。様々な憶測が脳内で膨張しては消えてゆくを繰り返している。しかし、なんてまあ尾行するのがへたくそな奴だとも思った。まるで自分の存在を認知してもらいたいかのような、そんな後のつけ方なのである。よもや気のせいなのかもしれないが。
振り返るべきか、無視し続けるべきか。バーガーパンツは悩んでいる。
「……、の……」
ただ、不思議と敵対心は感じなかった。肌を突き刺すのは視線のみで、それには憎悪や嫌忌は一切含まれていない。だからといって相手をしてやる謂れも見つからず。「……あ……」こちとら残業キメてほとほと疲れ切ってる身だってのに。ぼそぼそと独り言を呟く姿は歩く亡者のようである。
「あの……!」
バーガーパンツは今度こそ足を止めた。それから静止したのは果たして正しい判断だったのかどうか考える。この場に留まるということすなわち、認知の黙示だ。いっそのこと完全無視を決め込んで今一度歩き始めるという手段も選択肢の内にあったが、しかしバーガーパンツの頭にはとあるひとつの記憶が蘇っていた。そしてこの声にはどうも聞き覚えがあるかもしれない、という可能性が浮上する。
悩んだ挙句、振り返ってしまった。探求心には勝てなかったのだ。違ったのならそれはそれでいいとして、当時のその出来事はバーガーパンツにとっても色濃く海馬に刻みつけられていたからだ。
「あ。……こ、こんばんは」
振り返った先には、ひとりのモンスターが佇んでいる。距離にして十数メートルは離れているだろうか。律儀にも挨拶をしてくれた相手に対し思わず「……うっす」と返すと、相手の表情がぱっと明るくなり、名状しがたい気持ちになる。
やはりと言うべきか、相手の顔には見覚えがあった。恐らく一生涯忘れることはないであろう事件の大本。
「……あの。わたしのこと、わかりますか? 覚えてますか?」
喜々たる面持ちから一転、不安そうに訊ねられ、バーガーパンツは考えるよりも先に口が開いていた。
「わかるし覚えてる。つーか、あんなこと忘れられる方がすげーよ」
「……あ、」
「……で、何の用だ」
まさか吸血目的か? ほんのジョークのつもりで、軽い気持ちでそう言えば、相手は信じられないくらいに顔色を悪くして後退する。尋常ではない様相にバーガーパンツは言葉選びを誤ったことに気がついた。だが発言してしまったものを無かったことにはできない。とりあえず早急に謝罪を述べ、さてどうするかと思案に暮れる。この場から立ち去るという考えは今のところなかった。
すると、おもむろに相手が呟く。「わ、わたし、吸血とかじゃなくて……」まさに顔面蒼白。まばたきをしている間にも卒倒しそうな様子はバーガーパンツを酷く動揺させている。
「や、さっきのはジョークだって」
「……き、吸血目的じゃないの。今は。……あ、今というか、この前のもそんなつもりはなくて、ぜんぜん……本当に……」
「お、おい?」
「この前のは……そう、水筒を落としちゃって、それでお腹が……。今は持ってるの。あの、水筒ってこれのことで……ちゃんと中身もあって」
なんなら実際に確認してくれとでも言うかのように水筒の蓋を開けてひっくり返そうとする相手にバーガーパンツは焦った。そんなことをしたら以前の二の舞だと、つい距離を縮めようと前進する。しかしそれ以上に相手が後ずさりを続けるものだから一向に近づくことはない。
一進一退の攻防戦に痺れを切らしたバーガーパンツは、とうとう声を大にして叫んだ。「おい! 頼むから話を聞け!」焦燥のあまり自制が効かなかったのだ。案の定相手は委縮し身を竦めた。バーガーパンツは思うようにいかない展開に心労している。
「……悪い。声デカすぎた」
「……わ、わたしの方こそ。その……ごめんなさい……」
「なあ、それで、お前はさ。オレに何の用だよ?」
「……それは、……」
ぐっと言葉につまる姿に、バーガーパンツはつい訝しげな表情を浮かべる。ちらちらと意味ありげな視線を寄越すあたり、何か言いたいことがあるのは明確だ。だが、その先がなかなか言葉に出てこない。今か今かと待ちあぐむも、せっかく開かれたはずの唇はもどかしくも再度閉ざされ、結局少しも進展しないままである。
バーガーパンツはこの何とも歯がゆい状況に、もしやと思う。
───愛の告白。彼は今自分が置かれている状態を、告白を受ける前置きであると考え始めたのだ。それが盛大な勘違いとは露知らず。
それなら言い出しにくくて当然だよなァ、とだらしなく頬を緩ませていれば、とうとう相手が決意したような面持ちでバーガーパンツを真っ直ぐに見据えた。彼も気圧され、きりりと顔を引き締める。
「友だちに。なりたくて」
「………は?」
「え」
「友達?」
「そ、そう。友だち……」
「まずは友達からってことか?」
「友だち……から?」
「……」
話が噛み合わない。ふたりは互いに目を点にしながら対峙している。
バーガーパンツは気がついた。どうやらオレはとんだ思い違いをしていたらしいと。自分が勝手に先走り、都合のいいように解釈していただけなのだと。猛烈な羞恥心に襲われたバーガーパンツは穴があったら入りたい気分だった。それどころかむしろ自分で穴を掘りたいくらいだった。
困惑しながら見つめてくる相手には面目が立たない。そもそも思わせぶりな態度をとる相手にも問題があるとまで考え始めた。しかしそれもまた事実である。
なまえは長年孤独だったことにより、モンスター関係を構築するために大切な何かが欠如しているのだ。良く言えば純粋。悪く言えば単純。それらはなまえの長所でもあり短所でもある。
ひとりは嫌だ。だが己の種族を顧みると友だちをつくることも恐ろしい。そんな両面価値に苛まれ続けてきたなまえが硬い殻に罅を入れ友だちづくりの決意を抱いたことは、大きな成長の証でもある。が、それは一般論でしかなく。微笑ましいはずの一歩は、約一名にとっては不都合極まりないことであった。
ともかくも、友だちづくりに精を出しつつあるなまえは色々と厄介なモンスターなのである。これにはメタトンも苦言を呈するしかない。
「…は。ハハ! なんでもない。さっきのは忘れてくれ……」
カラカラと無理矢理笑ってみせたバーガーパンツの声が、周囲に虚しく響いた。消えゆく音のうら悲しさが彼に追い打ちをかけてくる。そして纏わりつく劣情を振りほどくように、ええいままよと「……それで、友達だろ。別にいいぜ」と言った。
バーガーパンツとしては、相手の望みを受け入れたのだから喜びを前面に出すような反応を待望していたのだが、当の本人は驚愕した表情で硬直しているので拍子抜けする。
「な、なんかあんま嬉しくなさそうだな」
「そんなこと……!……ただ、あの……まだ信じられなくて……。だって、断られることも覚悟してたから。わたし、あなたのこと吸血しちゃったんだもの」
「まあ、……あー……それはそれ、これはこれだ」
「……やっぱり。バーガーパンツはいいモンスターだったんだね」
わたしの予想はあたってたみたい。淑やかにそう言った相手に、バーガーパンツは複雑な心境になる。正直なところ、彼には下心がないわけではなかったからだ。それを自覚しているがゆえに率直な物言いに多少の罪悪感を抱かざるを得ない。
つまり彼は、叶うのならばもう一度吸血の悦楽を味わいたいと密かに考えていたのである。
しかしながらそんなことは口が裂けても言えやしない。まして先刻の相手の様子に鑑みれば、どうやら吸血という行為そのものに嫌悪を感じていることは推測できた。「もう、あんなことしないから……。絶対。約束する」だが、やはり改まってそう念を押されると勿体ないなと思ってしまうのであった。
「……いや、ちょっと待て」
バーガーパンツは現状をすんなりと享受していたが、はたと思い当たる。「なあ、お前さっきなんて言った?」確認するように問えば、相手は不思議そうな顔をしながら「吸血はしない、って……」と返事をした。いや違うそうじゃない。バーガーパンツは焦っている。
「もう少し前」
「……わたしの予想はあたってたみたい」
「もう一声」
「う、うーん……バーガーパンツはいいモンスター?」
「それだ」
何故お前がオレのあだ名を知っているのだと混乱する。その名を知っているのは一部のモンスターに限られているはず。MTTリゾートの関係者や当時のグラムバーガー騒動に関与したモンスター、そのどちらにも彼女は該当しない。自己紹介など言語道断だ。それなのに一体どうして。
「…もしかして、バーギィって呼んだ方がよかった?」
なまえは首をかしげて訊ねた。どうせならそっちの方が仲睦まじげでイイなっていやいや違うそうじゃない。バーガーパンツは首を横に振った。
「なんでオレの名前知ってんだよ」
「聞いたの」
「誰に」
「メタトン」
「……なんだって?」
「メタトン」
「……。そうか。……スゥーッ……」
バーガーパンツは深呼吸をしている。
色々訊ねたいことはあるが。今しがた友達と相成った相手はどうやら上司となんらかの関係があるらしい。それだけは明瞭。紛うことなき事実。「ハァ……」うっかりため息が出た。
もしかして友だちになろうと言ってきたのは上司の差し金だろうか。なにか企んでいるのだろうか。だとしたら、どこから計画の内になるのだろうか。脳内では邪推が飛び交う。
そこで蘇ってきたのは、つい数日前の会話だった。バーガーパンツが持ちかけた質問、それによって展開されたやり取り。吸血鬼っていると思います? それが彼の口にした疑問だ。そのときのメタトンは確か。「……そういや、核心に触れないような返ししかしてこなかったな」そう、なあなあで話をつけたのである。まるで存在を隠匿したいかのごとく。
「……」
バーガーパンツは禁忌に触れてしまったものに近しい、得も言われぬ感覚に支配された。
「……お前、オレと友達になってよかったのかよ」
「どうして?」
「だってよォ……」
「大丈夫だよ。許してもらえたの」
「……は? 許す……?? え、お、お前、もしかしてそんなことに許可必要なの??」
「……だって、血を飲むモンスターがうろうろしてたら、みんな怖がるはずだから」
「……たぶんだけど、それってそういうことじゃねーぞ……」
「わたし、バーギィと友だちになれて嬉しい」
「お、おー」
本当に心の底からそう思っている表情を浮かべるものだから、バーガーパンツは気が抜ける。まあ、これで、いいのか……? 何をどうするのが是なのか彼には判断しかねるが、目の前のなまえがあまりに嬉しそうにしているから、ひとまずはこれで良しとすることにした。
「そういや、まだお前の名前訊いてなかったな」
今更だけど、と付け足して問う。「……なまえ。覚えてくれる?」当たり前だろと頷けば、なまえは顔を綻ばせた。そしてバーガーパンツは、ずっと気になっていたことを口にしたのである。
「なあなまえ。とりあえず、友達ならこの十メートルくらいはある距離をなんとかしようぜ」
ENCOUNTER
「やあ。バーギィくん」
「……ウィッス」
「仕事は順調かな?」
「お、おかげさまで大盛況っすよ」
「うんうん、それはいいことだ。この調子で頑張ってね」
「ガンバルッス」
「ところでさあ」
「……なんですかね」
「どうだった?」
「え? どうって、なにが」
「おや……しらばっくれるつもりかい」
「!……あ、ああー……はい。友達的な? 感じに?」
「……そっか」
「……」
「まあ……仲良くしてあげてよ……」
「(言動が一致してねえ……)」
「あ。そうそう」
「はい?」
「くれぐれも馬鹿な真似はしないよう肝に銘じておけばいいと思うなあ?」
「…………ウィッス」