今生の別れにするつもりはなかった。まして対人間用殺戮兵器の名に恥じぬ機能に申し分ないスペックまでも兼ね備えていたのだから。
液晶パネル越しにかち合った視線は脳裏に焼きついている。忌々しく癪に障る、醜悪で唾棄すべき対象。いっそ清々しいまでに引き上げられた口角が険難な激情を誘起してくる。
禍根を眼前にした燻りは動機となる。右眼窩からの煌煌たる閃光は決意の証だった。諸悪の根源を根絶やしにすると声をかけて、アルフィーの指示した避難場所に向かう後姿を見送る。
そうなるはずだったのに!!!
すべてを終わらせたら迎えに行くと、その言葉を口にすることすら叶わないだなんて誰が予想できただろう。生憎と、いわゆる幸福な顛末しか思い描いていなかったのである。そう信じてやまなかった。
それは突如として出現したようにも見えた。ただ忽然と、そして毅然と。これが真理だとでも言うかのように。決意を露わにする暇すら与えられないままに。
別れる直前、向かい合っていたなまえの胸をえぐり飛び出してきた血塗れの切っ先。突然の背後からの強襲で崩れ落ちる身体を慌てて抱きとめた。
名を呼んだ。だが返事はない。やわい身体を貫いたのは、驚くことにただの棒切れである。なんの変哲もない、無個性で陳腐な、それこそそんじょそこらの木の枝から適当に折って拝借した程度のありきたりなもの。
恐らくは早計。そう形容するにはあまりに特化し過ぎていた。本来ならばあり得ない用途だというのに。ただそれだけを成し遂げるために象られたかのような。
まるで刃物だった。それにそぐわぬ、鋭利な先端が体内に留まる器官を喰らい、引きずり出し、あろうことか貫通させている。見事としか言いようのないほどに正確に、忠実に中心を穿ち、ソウルには亀裂が入っていた。
信じたくなかった。よもや夢でもみているのではないかと。
目を疑うような光景に視線を逸らせない。回路系が一切断絶されているかのように硬直する。思考すらままならない合間にも棒切れの先が絶えず奥へとねじ込むような回転を繰り返し、ソウルの罅を広げていく。ついには間隙が生じるのを目撃した。目撃してしまった。
悪意。あるいは純粋な殺意。はたまたそのどちらにも該当しないのかもしれない。しかし確かに殺しにかかってきていた。モンスターの殺し方をことごとく熟知していた!
硬質なものが割れゆく音がする。左腕を背に回すと液体に触れた。穿通した部位から滴り落ちる、べたついた、赤色の───…。
名を呼んだ。やはり返事はなかった。
温かみが既に失われつつある肢体は微動だにしない。無情にもさらさらと崩壊の兆しを見せ始めている。瞬く間に瓦解の一途を辿っている。あふれ出ていたはずの血液すらも。その一滴さえ残らない。それがモンスターの死に際だった。
寄りかかっていたはずの一人分の重みが喪失した。左手の指間から零れ落ちる灰塵が大気に身を任せて流れ果ててゆく。あまつさえ残留など夢のまた夢。
ぢりぢりぢりぢり。どこか遠くで奇怪な音が聴こえる。殺意を持つ相手には殺意をもって処するのが定石だろう。現に佇む相手が憎らしかった。腹の底で火花が散る。リミッターが焼灼されれば制御が効かない。むしろそうあるべきだ。
ぢりぢりぢりぢり。憎悪に比例し決意が膨れ上がる。右腕にエネルギーを凝集させれば、いよいよ理性が引き千切られた。もはや容赦など不要である。兵器としての使命を全うするほかに道はない。
怨嗟を籠めて照準を合わせた。狙うはただひとり。標的の口がにたりと裂ける。にやけてくれるな。「芸がないね」嘲笑の滲む声が纏わりつく。「その反応も見飽きたよ」地を蹴る音。小さな身体が躊躇なく飛びかかってきたと思いきや、刹那に間合いを詰められ懐に潜り込まれた。腕が振りかざされる。
ほんの一振りだった。
「甲斐甲斐しく死ね」
バケモノめ。
¿
ボディへの衝撃で覚醒した。眩う世界を捉えれば上下が逆転している。未だ鎮まりをみせない胸中は、しかし目の前の光景に戸惑い、毛色の異なる不穏な変化を醸成していく。ぐるりと眼球を回してみるが、いくら目を凝らして見ても珍妙の一言に尽きた。
ここは一体どこだ。
ぽつりと独り言をこぼせば、ぱたぱたと何かがこちらに向かってくる足音がした。途端に外敵の抹殺にむけて思考回路が切り替わる。
閉ざされたひとつの扉。奴が入ってくるのならばそこしか道はない。次こそは仕留めると殺意を膨張させれば、扉が開かれ相手が現れた。そしてエネルギー砲を放ち邀撃する───つもりだったのだが。
メタトンNEOはただ絶句した。
死んでしまったはずなのに。この手で確かに、散りゆく最期を看取ったのだ。きっと生涯つきまとうであろう死の感覚。こんなことはあり得ない。
「……大きな音がしたから来てみたんだけど……メタトン、いつの間に帰ってきていたの?……それに、どうしてひっくり返っているの、とか、どうして見たことのない身体をしているの、とか……よくわからないことがたくさんあって」
でも、とりあえず起き上がろう? そう言って近づき触れてくるなまえは確かに現実に存在していた。
呆然としたまま、手助けをされつつ身体を起こし、真っ向から相手の姿を捉える。彼女は見れば見るほどなまえだった。容姿だけではない。声も、所作も、雰囲気も。すべてがなまえそのものだった。
「メタトン。具合が悪いの?」
心配そうに覗き込まれ、顔に触れられた。温かい。近距離で絡んだ視線に思わずごくりと息を呑む。
「メタトン。調子が悪いのなら、アルフィーに診てもらったほうが」
「……君、は」
「?」
「なまえ……なんだよね」
「え……? ん、うん」
慎重に訊ねてみれば困ったように頷かれ、顔を歪めた。目の前にいるのは確かになまえであるらしい。
頭の回転が追いつかない。先ほどのおぞましい出来事は夢だったとでも言うのだろうか。しかしそうすると今現在の自身の形態の説明はどうつける? こうまでも現実的な体感に関してもだ。
ああでもない、こうでもない。口を引き結び思案に暮れていれば、なまえが口を開いた。
「……メタトン。もしかして、わたしのことがわからなかった?」
悲しげにそう言われ、慌てて首を左右に振る。わからないわけがなかった。伝えたことはないが密かに大事に想っていた相手なのだから。わからないはずがない。ただ、到底理解しがたい何かが起こっているこの現実を許容しきれていないだけだ。
「本当? わたしが誰か、わかる?」
「もちろんわかってるよ」
「よかった……メタトン、地上に出てから働きづめなところがあるから、疲れが溜まってきてるんだと思う」
「……地上……?」
「お客さんが増えてきて、忙しいとは思うけど……もうちょっとメンテナンスを受けるとか、身体を大事にしないと」
ここが地上だなんて一体何の冗談だ。
改めて部屋を見回してみれば、窓から窺える青い天井に、降り注ぐ明るい光が視界に入る。
空、そして太陽。そのふたつのことは、地下にいたときから知識として蓄えてはいた。どちらも地下には見られなかった現象であるがゆえに地上であることは認めざるを得ない。百歩譲ってではあるが。
しかし。しかしだ。地下と地上の狭間には結界があったはずだ。人間のソウルを手に入れなければ解除できない、一筋縄ではいかないような結界。その問題はどうしたというのか。考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。メタトンNEOは酷く混乱していた。
そもそも地上なんて羨望に値しない場所である。どうせ奴のように野蛮な輩しかいないのだと痛感したのだから。下賤な笑みを思い出しては吐き気がする。モンスターと人間は未来永劫、金輪際、天地がひっくり返ったとしても相容れないに違いない。
なぜ地上に自身やなまえがいるのか、その経緯は記憶からさっぱり抜け落ちてしまっている。とはいえ、このまま大人しく留まってもいられなかった。どういう原理でなまえが存命しているのかは定かではないが、生きてくれているのならば。
メタトンNEOは焦燥感に駆られながら「地下に戻ろう」となまえに迫った。だが承諾されるどころか鬼気迫る様子に首をかしげられ、唇を噛む。
「……メタトン。なにを言っているの」
「地上は危険だ。人間がいる。平気でモンスターを手にかけるようなね」
「そんなことないよ。だってフリスクは」
「フリスク?……誰だい、それ」
聞きなれない名にそう問えば、なまえはぽかんと口を開いた。文脈から人間のことを指しているのはわかる。けれどもそんな奴のことなど微塵も聞き覚えがなかった。さらにはなまえが人間なんかを庇うのが面白くなかったし、友達であるかのようにその名を紡いだのも気に食わなかった。
驚愕しているなまえはさておき、そんなことどうでもいいから、と腕を掴む。しかし、ぐっと踏ん張られて抵抗されれば少なからず傷心した。どうして拒むのかと。
「メタトン。やっぱり、どこか調子が悪いんじゃ」
「どこも悪くない」
「……でも、それなら、どうして」
「だってなまえを殺した!!!」
張り上げられた声になまえは委縮した。悲痛な叫びが空気を震わせる。なまえに至ってはメタトンが何を言っているのかが理解できず当惑することしかできない。自分は生きているのに、どうして殺されたなどと言うのか。考えられるのは夢か、もしくは身体の不調。それくらいだった。
とにかくアルフィーの元を訪ねるのか最善と思い、再び提案しようとしたのだが。じっとこちらを見つめてくるメタトンの右の眼孔よりぢりぢりと放出されつつある炯然とした光が、なんだかとても物騒なもののように感じられて息が止まる。
今目の前に佇んでいるのは、メタトンのはずなのに自分の知るメタトンではない気がする。なまえはそう思い始めた。けれどもそんなことはあり得ないのだ。なにかが交わらない違和感。奇妙な話である。
「……わ、わたし、わからない。メタトンがなにを言っているのか」
「次は絶対守ってみせるよ」
「だって、殺されてなんかない、生きてるのに」
「僕だってあんなのはもう懲り懲りだ……!」
話が噛み合わない。計り知れない奇異が潜む恐怖に怖気づき、なまえの足は自然と後ずさっていた。ところがメタトンNEOがそれを見逃すはずがなく、掴まれていた腕に力が込められる。咄嗟に痛みを訴えるものの、興奮しているのか聞き届けられることはなかった。
「地下に帰ろう」
「は、はなして」
「頷いてよ、なまえ、お願いだから」
「っやだ……たすけて、メタトン……」
「……」
メタトンNEOはかちんと頭にきた。メタトンは自分だというのに。これではまるで悪者じゃないか!
こうなったら例え力ずくでも連れていくと意気込んだとき。「なまえ~? スターの帰還だよ! ここにいるのかい?」そんな声が聞こえたと同時に扉が開かれ、ふたりは弾かれたように振り返った。するとそこにはなまえのよく知るEX形態の彼がいたのだが、この現状では残念ながら更なる混乱を招く要因にしかならない。「……は?」せっかくの帰宅を果たした当人すらも、まさか探していた相手と自分に酷似した不審者が戯れている状況が待ち構えているとは露も思わず、愕然としている。
「なにをしてるのかなあ……?」
「……僕、なのか……!?」
「……??? メタトン、なの?」
「浮気とか……僕だけじゃ満足できなかったって? わざわざこーんなソックリさん捕まえちゃってさあ……」
「え、え、ちがう、ちがうよ」
「君もなまえに触るな」
「なっ」
「メタトン、だって、メタトンが」
「僕がなに?」
「ううん、メタトンが」
「うん。だから僕がどうしたって?」
「メタトンじゃないメタトンが」
「メタトンは僕しかいないよ」
「……僕だってメタトンだ」
「君はなにを言ってるんだい」
「その言葉そっくりそのまま返すよ」
「……」
「……」
「あの、メタトン」
「なに?」
「なに?」
「……メタトン、わたし、もうなにがなんだかわからない」
「僕もさ!」
「僕もだ!」
満場一致だった。