「い、一週間……」
どういうわけか血液が出てこず、しまいにはうんともすんともいわない機械に嫌な予感はしていたのだ。朝食を摂れないまま急遽アルフィーの元へ訪ねると、ごめんなさい、と地面にめり込まんばかりの勢いで頭を下げられる。もはや額と地面がキスをしている状態である。そんなアルフィーに「お願いだから、頭を上げて? ね?」と言うなまえは、しかし確かに焦燥を抱いていた。
人工血液製造機が故障してしまい、それが治るには少なくとも一週間は要するとのこと。それまでの間どのように食事を摂取するべきか、必死に頭を回転させていたのである。
BLOOD SUCKING
家族会議なる劇団会議。とあるアパートの一室で、とある会議が開催されていた。張り詰めた空気の中で、今か今かと誰もが誰かの発言を待っている状況下、バーガーパンツはひとり思うところがあった。
血液製造機が故障してしまったことが意味するのは、なまえが食事を摂ることができないということである。つまるところ、誰かが吸血されねばならないのだ。幽霊であるナプスタブルークやロボットであるメタトンは必然的に対象から除外される。したがってシャイーレンかバーガーパンツが吸血対象となることを意味していた。
「……あ、あの~」
「馬鹿なこと言わないでくれるかな」
「ふざけたこと抜かすなよ」
バーガーパンツがおそるおそる口を開けば、まるで彼が何を言わんとしているかを瞬時に理解したかようにメタトンEXとNEOが口を揃えてぴしゃりとそう言う。バーガーパンツはウッと言葉につまった。メタトンひとりならまだしも───とは言っても、ひとりでも充分な眼力はあるのだが───その鋭い視線が二倍に増えたものだから、余計に肩身の狭い思いをしているのである。
どういうわけかNEOがこの世界に訪れてから、はやくも一ヶ月が過ぎようとしていた。初めは異なる世界線からの訪問者に驚いたものの、今となっては見慣れた光景だ。当初はアルフィーさえも原因がわからず頭を抱えていたが、NEOは存外この世界に馴染んでいた。
しかしながら、それはなまえのことに関して目を光らせている者がふたりになったということである。それに苦虫を噛み潰したような心境になるのはバーガーパンツであった。決してやましい気持ちがあるわけではない。けれども少なからずなまえに好意を抱いていた彼にとっては、それが足枷となっていたのは言うまでもなかった。
「……けど、血を吸わなきゃなまえが餓死しちまいますよ?」
「……」
「……」
もっともな意見にメタトンEXとNEOは口を閉ざす。そう、例え彼らがなまえに吸血されることに反対しても、窮地に追いやられるのは他でもないなまえなのである。
「……ごめんなさい、迷惑かけちゃって。……」
しゅんと落ち込むなまえにすかさずメタトンEXがフォローする。「なまえは悪くないよ。だから気にしないで」だが、血を摂らねば生きていけないなまえはひどく落ち込んだ。ただでさえ自分の食事に関して嫌悪を抱いているというのに、そのことで周囲に迷惑をかけているとなれば尚更だった。
「わたし、がんばって我慢するから」
「……でも、飢餓状態になればそれこそなまえが望まない状況になるよ」
「……うん、そうだよね、ごめんなさい」
じわりと目に涙を浮かべるなまえに皆が言葉を詰まらせた。なんとか打開策を講じたいところではあるが、考えれば考えるほど、このメンバー内の誰かが吸血されねばならないという結論に至るしかない。
「ごめんね、わたしのせいでみんなに迷惑かけてる」
「そんなことない。なまえが気を病むことはないんだから」
「でも、そうなると……」
バーガーパンツとシャイーレンに視線が集まる。
「僕はできることならシャイーレンがいいかな。彼女がよければだけどさ」
「うん、僕も彼女がいいと思う」
メタトンEXとNEOが言う。その様子にシャイーレンは慌てた様子で狼狽えた。
多少なりとも吸血されるのには抵抗があるのだ。言葉にはせずとも、なまえには容易に想像がついた。
「……魚類と哺乳類だったら同族であるオレの方が身体的にも問題なさそうっすけど……」
バーガーパンツがぽつりと呟く。彼の言うことは少なからずその通りだと思えるものであった。しかしメタトンEXとNEOはどうしても納得がいかない。ただでさえなまえに好意を持っているのが手に取るように分かっているというのに、まして吸血されるなどどうしても許せなかった。
「……でも、妥協が必要な状況ではある、か」
メタトンEXはハア、と重い溜め息を吐く。「今回ばかりは仕方がないね。でもね、バーギィくん。勘違いはだけはしてくれるなよ」ぎらりと恐ろしげな眼に睨めつけられ、バーガーパンツはぎくりと身体をこわばらせた。
「変な行動にでも移してみなよ。その時は容赦しない」
続いて憎悪に近い声色でNEOは言う。殺戮兵器である象徴の右腕からは不穏な光が溢れていた。それにバーガーパンツは身体を縮こまらせる。そして「わ、わかってますって!」と慌てて言った。
「あ、あのね、わたし、……その、血を吸ってるところ、見てほしくない、かなあ」
そうして吸血されるのがバーガーパンツに決定し、気まずい雰囲気になっていると、なまえがおずおずと申し出た。その言葉にメタトンEXとNEOはぎょろりと目を剥く。
「なまえとこいつをふたりにするって? 冗談はよしてよ」
「ただでさえ気に喰わない展開なのに、ふたりきりにするだなんてどう考えたって無理だ!」
ふたりの鬼気迫る勢いになまえの目からは涙が零れそうになった。その様相に言葉につまるメタトンEXとNEO。元よりなまえは吸血することに嫌悪を抱いているのだ。その上さらに吸血行為を誰かに見られるなど我慢ならないのである。
「ね、おねがい、メタトン」
「……うん、わかった。わかったよ」
涙ながらに訴えられ、先に心が折れたのはメタトンEXとNEOだった。そして皆が重い腰をあげる。「下手な行動には移すなよ」メタトンは再三、念には念をと最後にドスの利いた声で言の葉を残したのち、全員が部屋から退室していった。
部屋にふたり残されたなまえとバーガーパンツの間には、気まずい雰囲気が醸し出されている。
「……ね、バーギィ」
「ど、どうした?」
弱弱しく口を開いたなまえにバーガーパンツはどきりと反応する。実のところ、彼は吸血されることを心待ちにしていたのだ。そんなこと口が裂けても言えないが。
「あの、ね。本当にごめんなさい」
ぐったりと落ち込むなまえに「気にすんなよ」と返事をする。「それにさ、オレ別に吸血されるの嫌じゃねえよ?」思わずそう言えば、なまえはきょとんと眼を丸くした。
「そうなの?」
「……あ、いや、ホラ、オレ前にも吸血されたことあったろ? 一回経験してんだからさ、あんま気すんなよ」
急いでそう付け加えると、なまえの表情が幾分か柔らかくなった。「……うん。ありがとう、バーギィ」そしていよいよふたりは対面する。バーガーパンツは人知れずいよいよと心を弾ませた。彼は以前吸血されたときのことを思い出していた。手を噛まれ吸血されたときの甘い刺激。彼はそのことがどうしても忘れられなかったのだ。
「……で、どこから吸うんだ?」
「あのね、本当は首がいいの。吸いやすいから……」
「……おう。じゃあそこでいいよ」
「う、ん。ごめんね」
申し訳なさそうな面持ちでいそいそと近づいてくるなまえに、バーガーパンツの鼓動は人知れず高鳴る一方である。ゆっくりとなまえが跨る。そしてなまえの顔が首筋に近づいていき、ふにゅりと柔らかな唇が首筋に触れる。彼は思わずぴくりと反応を示した。間もなく、ぷつりと鋭い歯牙が皮膚を突き破り、期待していた刺激が身体に襲いかかる。ふわりと鼻腔をくすぐるのはなまえのシャンプーの香りだ。かぐわしい香りは快楽の背を押してやってくる。ぞくぞくとした電流が脊髄に沿ってなぞりあげる。「……ン、う」つい声が漏れて口を手で覆う。じわりじわりと快感が背骨から身体中を駆け巡り、それに従い自身は熱く反応を示す。「ッうあ」あまりの興奮にバーガーパンツは思わずなまえのことを抱きしめた。かき乱すようにして胸に抱く。あまりの快楽に無意識の内に硬くなった自身をなまえに押しつけていた。それになまえは微かにぴくりと反応を示すが、歯牙はまだ抜かれない。ちゅうちゅうと吸われる感覚は待ち望んだ悦楽に他ならない。
「……っは、う」
あまりの心地よさにバーガーパンツは身じろぐ。熱く硬いものを押し当てられたなまえも逃げるように腰をよじった。そのせいで自身が擦れ、彼はびくびくと身体を震わせる。吸血のみにならない生理的な快感に更なる興奮を煽ってくる。
やがて長いようで短い吸血が終わり、なまえの歯牙が抜けると、温く湿った舌が表皮を這う。残りの数滴すらも勿体ないかのように血液を舐めとられ、ようやく狂楽地獄から解き放たれた。しかし、それにバーガーパンツはどこか落胆した心境に至る。正直、もう少し吸血されていたかったと、そう思った。
「……バーギィ、ごめんね」
「……なにがだよ?」
「血、吸っちゃって。痛かったよね」
「……や、別にそんなことはねえけど……」
さりげなく吸血行為に痛みが伴わないことを口にしつつ、バーガーパンツは口ごもる。むしろ快楽に溺れるほどの行為であることをなまえに伝えるのは気が引けた。さらには吸血されたいだなんてなまえに言おうものなら黙っていないふたりがいるのは明白である。その気持ちはバーガーパンツの胸中に秘めておくのが賢明だろう。
なまえはバーガーパンツの腕の中から解放されたが、依然としての上に跨ったままのため、至近距離で視線が絡む。なまえは落ち込んで口を開くが、彼はまだ夢見心地でいた。先ほどの強烈な悦楽が後を引き、余韻に浸っているくらいには。まだ硬いものは熱を引くことを覚えない。なまえが少しでも動くと自身が擦れて反応を示す。
「ッなあ、ごめん、そろそろ降りて」
切羽詰まった声音でそう言うバーガーパンツに、なまえは傷ついたような顔で彼の上から降りた。嫌な思いをさせてしまったと勘違いしたのだ。
「ご、ごめんね」
「……なんだ、まあ、あんまり気にすんなよ。さっきも言ったけど、オレ吸血されることにそこまで抵抗ねえからさ」
「え、え、そうなの?」
「……おー」
ぽりぽりと頬を掻きながらバーガーパンツはそう言う。その言葉になまえはホッと安堵した。そしてなまえは彼が無理をしてそのような言葉を口にしたと思った。気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じつつも、そんな心遣いをしてくれたバーガーパンツを嬉しそうな瞳で見つめる。
「ね、バーギィ」
「なんだよ?」
「わたしね、バーギィのことだいすき」
「っ!?!?」
ふんわりとしたかわいらしい笑顔を浮かべながらそう言われる。バーガーパンツは突然の告白に頭を鈍器で殴られた居心地だった。けれども、それが恋愛的な意味合いでの好きではないことは重々承知していた。それでもなまえは嬉しそうに笑んでいるものだから、ふと気が抜ける。「……オレも」そしてつい本心を口にしようと思ったその時。
「はいそこまで」
「……げっ」
額に青筋を浮かべながらメタトンEXとNEOが部屋の中に入ってきた。ロボットのくせに表情が豊かな奴だとアルフィーの技術に関心しながらも、バーガーパンツは内心そう思う。
それにしてもあまりにもタイミングが良すぎた。そのことを口にすれば、ふたりは気まずそうに顔を見合わせる。
「……まさかと思いますけど、ふたりとも見てました?」
「……」
「……」
その反応にバーガーパンツは確信を得た。ふたりはこっそりとなまえとの様子を覗き見していたということを! それはつまり、バーガーパンツがなまえを抱きしめたところや腰を押しつけたところも見ていたということになる。それを目にしたふたりに一体これから何をされるのかとバクバクと鼓動を速めていると、しかし彼らはそれ以上言及してこないものだから、拍子抜けする。
「は、え、怒らないんすか?」
「……別に、そこまで心は狭くないよ」
「はあ……」
メタトンEXとNEOは意味ありげな溜め息を吐く。そしてくるりと後ろを振り返るその刹那の間に、ふたりのソウルが原型よりも微々たるものではあるは柔らかに変形しているのを目撃してしまった。「あれ、もしかして───」思わず素直に考えたことを口にしようと思った瞬間、振り返りざまにぎろりと睨まれる。
「それ以上言ったらわかるよね」
「寝言は寝て言えよ」
あまりの気迫にバーガーパンツは押し黙るしかなかった。