ヒーロー協会本部が改築されたことにより、A級以上の希望したヒーローや職員には本部への居住権が付与された。敷地内にいれば衣食住に困ることはない。つまり、怪人の元へ出動する立場ではない職員は、快適かつ安全な生活が保証されることとなる。
シッチによる手配でなまえもなに不自由ない生活を送ることができるはずだったが、とある人物のことが脳裏をよぎり、窮屈な思いをせずにはいられなかった。連絡を取ろうにも相手は携帯電話を持っていないし、直接会いに行こうにも仕事が暇を与えてくれない。次に顔を合わせることができるのは、一体いつになるのだろうか。今後のスケジュールを思い浮かべてみても暫くは叶いそうになく、なまえはガロウの身を案じながらヒーロー協会本部へと足を運ぶことしかできなかった。
「おはようございます」
「ああなまえくん、おはよう。早い時間なのにすまないね」
「い、いえ! 大丈夫です。……それで、大事な話とは何でしょうか」
「今日の集会のことについてなんだが」
シババワの予言した地球の危機は、先日の宇宙人襲来によるA市壊滅により過ぎ去ったかのように思えた。実際、協会本部にも肩の荷が下りたと安堵した者が数多く存在した。しかしその事件以降、怪人の発生数が減るどころか、むしろ益々増加してきている。この事実に、シッチはまたも頭を悩ませた。地球滅亡の危機は収束してなどいない。それが彼と、協会の導き出した答えだった。ヒーロー協会は未だ息をつくことの許されない現状に対策を講じることを余儀なくされ、その結果として“地球がヤバい予言緊急対策チーム”が発足された。そのリーダー役としてシッチが抜擢され、秘書にあたるなまえ共々、目まぐるしい業務に追われている。よって本部への移動が容易になったという点では、なまえは協会の敷地内に居住スペースを得られたことへ感謝していた。
そして本日、チームが大きな動きを見せることになっていた。だが、詳細は幹部の者にしか知らされておらず、なまえも初めて詳しい内容を耳にすることになる。それを理解しているため、シッチの口から集会という単語が出てからなまえは顔を引き締めた。
「キミも、ヒーローの力のみでの対応には限界がきていることは承知しているだろう?」
「はい。災害レベルの高い怪人が増加してきていることもありますし……」
「それで我々ヒーロー協会は、善悪を問わず、ヒーロー以外の者にも力を貸してもらう方向に案を固めた」
「……善悪を問わず?」
今一つ理解できなかったなまえがそう口にすると、シッチは苦肉の策だと言わんばかりに顔を歪めて「裏社会の人間にも協力を得られないか交渉するんだ」と言った。その発言に、なまえはポカンと口を開かざるをえない。まさか正義の象徴であるヒーロー協会が裏社会の人間に協力を仰ぐだなんて、誰が想像できようか。それはなまえも同様であり、言葉の意味は飲み込みつつも、納得するまでは時間がかかった。数秒の間を開けて漸く真意を理解できた後、自分の解釈が間違っていないか確認するかのように口を開く。
「裏社会の方々の力も借りる……それが今回の集会の目的、ということですか?」
「その通りだ」
難しい表情のままに頷くシッチを見て、なまえはこの策が疑いようのない事実であることを悟った。シッチの狼狽える様子を観察するに、それが苦し紛れの考案であることは伝わってくる。これが協会側の決定事項なら、幹部補佐にあたるなまえは言うまでもなく、シッチにすら取り消しを要請する権利はない。だがなまえは初めこそ困惑したものの、今はいつもの雰囲気に戻り「それが協会の決めたことなら」となんてことのない顔で言い放った。その並外れた順応性に、今度はシッチが一瞬呆気にとられる。けれども再びなまえが口を開いたことにより、正気を取り戻した。
「ですが、ヒーローの皆さんは反対されるのでは」
「想定の範囲内だ。だから今日の集会まで、彼らには内密にしておく。そうでもしなければ計画が無駄になってしまうことも考えられるからな」
「裏社会の方も、そう簡単に協力してくださるのでしょうか」
「勿論、タダで協力しろとは言わないさ。報酬で釣れば、きっといくらでも協力者が現れる」
「……」
「集会になまえくんが同伴する必要はない。相手は犯罪者共だ……万が一のことを考えて、キミは待機していたまえ。だが、いつでも連絡を取り合える状態でいてくれ」
「はい」
「私はこれから集会の打ち合わせがあるから、なまえくんは護衛に回ってくれるヒーローがいないか呼びかけておいてほしい」
「わかりました。何名必要ですか?」
「そうだな……最低二人は欲しいところだ。じゃあ、よろしく頼んだよ」
シッチはそこまで言うと、急ぎ足で踵を返した。なまえはシッチと別れると、彼の護衛を務めることが可能なA級ヒーローを数人確保するために行動を始めた。
なまえがシッチの要望の通りに協会に居住しているヒーローに呼びかけをしたところ、重戦車フンドシとブルーファイア、そしてテジナーマンの三人が護衛として名乗りを上げてくれた。三人ともS級に引けを取らないA級の上位ヒーローである。シッチにそのことを伝えると、彼は「十分だ」と礼を言い、護衛を引き連れて裏社会の人間が集まっているであろう集会場に足早に向かった。
そしてシッチの後ろ姿を見送ってから数十分後ほど経過した今、なまえは大急ぎで集会場に向かっていた。シッチから無線に連絡が入ったからである。どうやら想定外の問題が発生したようで、酷く取り乱した声色で医療班と本部に居住しているヒーローの手配を命じられたのだ。
なまえは言われるがままに協会内で医療班の手はずを整え、ヒーロー収集の情報拡散を申し込んだ。シッチの言ったことを実行するのならば、それでお終いのはずだった。しかしその最中、幹部である一人から多目的ホールに向かうよう指示を受けた。この忙しい中、幹部の一人であるシッチを失うのは痛手であり、まずは彼だけでも救出するべきだという判断の元らしい。増援を求めているあたり、集会場で暴動が発生しているのは明らかである。そんな場所に女性が一人で向かって無事に帰ってこれるのかは通常疑問を抱くところだが、なまえは了承して命に従ってしまったのだ。
中央塔七階多目的ホール。なまえが目指している、騒動の原因となっている集会場である。本部に住むヒーローを集め、加えて医療班を必要としているのならば、そこで何が起こったのかは容易に想像がつくだろう。しかし協会は、幹部が一人欠けてもたらされる損失を恐れた。それゆえに幹部は、多目的ホールにある隠し通路を通りシッチの安全を確保するようなまえに言ったのである。その見解には、シッチの護衛についたのがA級上位のヒーローであること、そして彼らが裏社会の人間に敗北を喫するような者ではないという確信にも似た慢心が影響しているのだが、残念ながらそれに気がつく人物はいなかった。正義が悪に勝利する。そんな華々しい結果を、大多数の人間が信じて疑わなかったのである。
増援を求めているのならば、護衛に付き添わせたヒーロー達は既に戦闘をしているか、戦線離脱をしたかのどちらかだ。しかし、同行させたヒーローは皆実力のある者であり、全員がのびていることはないからシッチ一人の救出はそこまで難しくないはずだと、幹部はただ淡々と告げた。あいにく、なまえは上司が危険な目に遭っているかもしれないという話を持ち掛けられて無関心を装えるような人間性を持ち合わせていなかった。
無心で走り続け、やがて頑丈な作りの扉の前に到着した。あらかじめ幹部から手渡されていた鍵で錠を開ける。万が一のことを考えて慎重に回したつもりだったのだが、ガチャリという金属音が響いて思わず身をかたくする。しかし、いつまでたっても異変は起こらない。そのことにホッと一息つくと、もう一度ドアノブを握りしめた。
手始めに、扉を少し押してみる。扉の向こう側は、一言で言えば静かだった。騒ぎが起きているとは思えないほどの静寂。何となく、誰かが話しているような気もする。けれど怒声のようなものは聞こえない。もしかしたら落ち着いたのだろうか。ヒーロー達が事態を収束させたのだろうか。なまえはいまいち状況が掴めないままに、扉を完全に開いた。
隠し通路はステージの陰にあり、多目的ホールの様子を窺うことはできない。なまえは仕方なしに左右を確認すると、出た場所から左側に、壁にもたれ尻餅をついているシッチの姿を発見する。そして次に目に入ったのは、彼の手前に崩れ落ちている血だらけの男。随分と痛めつけられているが、肩は弱弱しく上下しているあたり、息はあるようだ。なまえは意を決して、ぶるぶると震えるシッチのもとに近づく。
「シッチさん、ここから脱出を」
「!? ッなまえくん、まだ来ては駄目だ!!」
「えっ?」
シッチの言ったことを理解し足を止めたときには既に遅かった。静まり返っている部屋に事態は落ち着いたと思い込んでいたことが、よりなまえの背中を押す要因となっていた。
ステージの裏を過ぎると、横目に広い空間が見える。そうして初めて視界に入る、床に伏している数々の人間。天井や壁には赤色が飛び散り、阿鼻叫喚な図の中に佇む一つの影。ヒーロー? いいや、シッチの慌て具合からして、きっと違う。なまえは振り向いた。いくつかの候補を頭の中に思い浮かべながら、ゆっくりとその人物を捉えようとした。そして、振り向いた時には相手もまたなまえのことを凝視していた。
「……あ、」
口から震えた声が漏れる。しかしそれは、驚愕に見開かれた瞳に射抜かれたかと思いきや、次の瞬間には憤怒に満ちた視線で気圧されて続くことはなかった。
「なまえくん! 何故ここに来たんだ!? 私は増援と医療班を要請しただけで、キミを呼んでは」
「おい」
「ひぃっ」
言葉を遮られたシッチは、その迫力のある怒声に縮こまった。一度は此処から身を引く様子を見せた男が、なまえがやってきたことで己の方へ近づいてきたのだから無理もない話だ。まして、シッチは眼前の男が裏社会の人間に留まらず、A級ヒーローすらも悉く捻じ伏せた様を見てきた。圧巻の力を持つものに恐怖を抱くのは当然の反応である。しかし、恐る恐る視線を上げてみると、その男はどうやらシッチに声をかけたわけではないらしかった。恐ろしい視線が自分に向いていないことに気がついたシッチが訳の分からないまま唖然としていると、次の言葉でさらに混乱することになったのだ。
「なんでこんな所にいるんだよ、なまえ」