アンチヒーロー

 なまえお姉さんは蹲って泣いている。だからぼくは言ったのに。「帰りたいのなら急いだ方がいい」ってね。そんな警告を無視して、なまえお姉さんはあの三角頭と呑気に談笑していたのだから笑っちゃうよ。なまえお姉さんは多分───いや絶対、あいつの計算高い巧妙な罠に引っかかった事に気づいていないんだろうなあ。なんであいつが、困った時に毎回都合良く現れて助けてくれたと思う? つけいるためだよ、心の隙にね。人間は一人ぼっちじゃあ生きてはいけないんだ。孤独を恐れて、他人に存在を認められる事を第一に考えているのさ。
 頼れる人間がいない状況で、唯一信用される存在になろうとした。それがあいつの考え。実際それは成功して、なまえお姉さんは疑う事なくあいつを信じている。だから涙を流している今も、きっとあいつに助けを求めているのでしょう? ねえなまえお姉さん、あいつは救世主でもヒーローでもない。ただ貪欲になまえお姉さんを求める、ひとりのいきものなんだよ。
 これはあいつが望んだ結末。そしてぼくも、心のどこかで望んでいた。だってなまえお姉さんと一緒にいるの、凄く楽しかったんだ。話し相手がいなかったから? 違うね。なんて言ったらわからないけど……そうだなあ、強いて言えば、あったかいんだ。取り繕った人間じゃない事が雰囲気からひしひしと伝わってくるし、心地良い空気を作り出す事に長けているのかもね。

「ねえ、なまえお姉さん」

 後ろから声をかけると、なまえお姉さんは驚いたように振り返る。一瞬なぜここにぼくがいるのか理解できていないように目を見開いていたけど、直ぐにくしゃくしゃの顔になって泣き出した。

「ジョシュ、くん……っわた、わたし、かえれないっ……どうしよう……!」

 なんて綺麗に涙を流す人なんだろう。一粒一粒落ちる雫ですら勿体無いと思う。水分で潤った眼球が美しい。あまり目を強く擦っているものだから、赤くなっているのが痛々しいけど。

「泣かないで。ぼくも悲しくなっちゃう」

 なんて、ぼくが言っても泣き止まないんだろうなあ。だってぼくは、あいつのような大きな手も、頼りになり得る大きな身体も持っていないんだ。大丈夫だよ。どうせ直ぐにお待ちかねの奴がやって来るんだから。そうしたらきっとなまえお姉さんは、ピタリと涙を止めるんだ。
───ああ、ほらね。気味が悪いくらい抜群のタイミングでサイレンが鳴った。やっぱりなまえお姉さんが困っている時に、あいつは現れるんだよ。