どっくん

 とくに深い理由はなかった。ただ都合よく近くに置かれていたナース服が、一時しのぎの着替えになるかもしれないと、そう考えただけなのだ。サイレントヒルにいる看護師さんたちはみんな際どい服を着ているので、この服に袖を通すときは大分とまどいを隠せなかった。胸の部分は大きく開いているし、スカートも尋常じゃないくらいに短い。でもこれを着なければ裸になるしかないから、仕方のないことなのだろう。別に胸元の生地があまっていることだとか、そんなことはこれっぽっちも気にしていない。……気にしていないもの。
 目の前でワイヤーにつるされた制服を見あげる。替えの洋服がなかったものだから、洗う前は随分と汚れが目立っていた。きれいにするのに何度も手で水洗いしたせいで指先は冷えきって赤くなり、少しだけいたい。手をこすり合わせて息をはきながら温める。制服がかわくまでの辛抱だ。大丈夫、我慢できる。

「風をかければ、少しはやくかわくのかなあ」

 そうは言っても、風を送ることができるような代物なんて持っていなかった。所在なく宙ぶらりんの制服のまわりをうろうろしては、すかすかの胸元をチラリと見やって顔を両手でおおう。……考えてはいけない。ここにいる看護師さんたちのスタイルがよすぎるだけの話なのだから。考えてはいけない。わたしは頭をぶんぶん振る。とにかくこのむなしい気持ちをどこかにやってしまいたかった。勢いよく振りすぎてくらくらしていたら、なんだか足元もおぼつかなくなってしまって、わたしはなんておろかなのだろうと思った。気にしないと考えていながら、しっかりがっつり傷ついているのである。
 眉間をおさえてうんうんする。なんだか頭まで痛くなってきた。もとはと言えば、こんなところにナース服をおいた人物が悪いのだ。……少し、休もう。干されている制服から二歩三歩後ろにさがると、背中に壁があたった。思いがけないできごとにびっくりして喉がひゅうっという音を鳴らす。慌てて確認すると三角さんが立っていて、わたしと制服に代わりばんこに視線をやっていた。

「わあ! びっくりした……」

 いつものように金属を引きずる音が聴こえなかったから、本当に驚いた。もしかしたら、わたしが考えこみすぎていて気がつかなかっただけなのかもしれないけれど。「三角さん、わたしになにか用事でもあるの?」頭を傾げて訊ねてみると、彼は手をゆっくりとあげて、わたしの首元を指でなぞった。「ひっ、あ」顎の下をくすぐられるようにして触れられて、反射的に逃げて顎をひくと鎖骨をなでるように横に指がすべる。やがてその指がさらに下へと降りてきて、嫌な予感がして、両手で引き締まった腕をつかんで制止させた。

「え、っと……? ど、どうしたの? くすぐったい……」

 もしかしたら、なんて考えなくても大体予想はつくけれど、そう疑問をぶつけずにはいられなかった。三角さんはわたしがナース服を着ていることが不思議なのだろう。それに開けた胸元をさわるなんて、きっとわたしの胸が小さいことを、指摘しているに違いないのだ……。「む、……むねが、なくてごめんね……」ぽつりとそうつぶやいたら、三角さんがわたしのそこを凝視しているような気がして、とてもいたたまれない。
 ちょっとの間をおいて左右に小さく振られた三角の頭を見て、ああ気を遣わせてしまったなあと思うのと同時に、恥ずかしさのあまりこの場から今すぐ立ち去りたい衝動にかられたので、わたしは制服をおろして胸に抱き、謝りながら全力で走った。かわききっていないせいでお腹とか胸が濡れて服が肌に密着して気持ち悪い。部屋の錆びた扉をあけようと手を伸ばすと、後ろで金属がたたきつけられる音が。それから何かを振り回されたような風圧で髪の毛がゆれて、すごく嫌な予感がする。震えながら三角さんを見てみると、彼はいつもは引きずっているあの大きな鉈を立てかけ、ずいぶんとまがまがしいオーラをはなっていた。

「……えっ、え、……三角さん?」

 ピクリともしない三角さんは、言葉は発せずとも空気で伝えようとしている。……たぶん、ここにいろってことだと思う。彼がそう言うのなら、後が怖いのでわたしに断わることはできない。だから大人しくそろそろと三角さんに近づくと彼は満足そうにして、わたしの制服を奪い去り、なんと床に投げ捨ててしまった。「あ…せっかく洗ったのに……!」急いで拾うためにそちらへ向かおうとしたら腕をつかまれるし、それもいつもの手加減をされた力ではないし、余裕がない様子だ。
……やっぱり、ここにナース服をおいたひとが全部悪いと思うの。