繰り出すポケモンやバトルの展開方法をはじめとして、トレーナー本人の些細な所作やその体格までもが行方知れずの昔なじみと酷似していた。犯罪組織の一員と面影を重ねるなど当の本人にとって不名誉かつ失礼にあたる行為であるとは思ったが、気のせいだと首を横に振るにはあまりに一致しすぎている特徴の数々。嫌な汗が頬を伝う。確信を振り払うようにしてポケモンの技による風圧で制帽を吹き飛ばせば、隠されていた顔が露呈した。
「……なにを、してるんだ」
喉奥から絞り出した声が震える。長らくあいまみえていなかったことに対する歓喜も安堵もない。なによりも、ただならぬ怒りが、他の感情を押しやって猛進してきた。「なにをしていると訊いてる」物言わぬ彼女に再度問う。備えられた無機質な瞳は、本来彼女には不釣合いなもののはずだったというのに。今は妙に様になっていることが、ひどく悲しいと思った。
「ギャラドス、氷のキバ」
猛々しい咆哮ののちに襲いかかる巨大な体躯。不意を突いてきた攻撃を避けるよう咄嗟にカイリューに命じ、次いで流星群を指示すれば、残りの体力が少なくなっていたギャラドスは地に倒れ伏した。
ほんの一瞬、なまえが表情を歪める。彼女の手持ちは既に三体が瀕死状態だ。
なまえは俺に勝てない。これは見越しではない。確信だった。というのも、ポケモンの育て方もバトルでの戦略も、なにもかも過去に俺が教えたものだからだ。この対面が数年という月日を隔てたものであっても、戦い方に癖が残っているのが窺える。
「もう止めにしないか。俺には勝てないって、なまえが一番分かってるだろう」
「まだ勝負はついてない」
なまえは腰に備えたモンスターボールに手を伸ばした。どうやらまだ敗北を認めていないらしい。
俺はなまえのバトルの仕方を熟知している。熟知していたつもりだった。だが、そんな慢心が引き金を引く。「大爆発で全部吹っ飛ばして」飛び出してきたマタドガスがカイリューに密着する。それを認識した直後、数秒と置かずに紫色の身体から眼球を突き刺すような光が放たれ全身が爆風に飲み込まれる。地面の砂や小石が巻き上げられ、容赦なく襲いかかる砂埃に目を細めた。
カイリューの体力は今まで奮闘してくれた甲斐あって相応に減少していたから、きっと気絶してしまっているに違いない。
「……、」
いや、そんなこと、よりも。俺は腹の中が煮えたぎっていた。こんな憤りはついぞ感じたことがない。俺はなまえにこのような戦い方を教えたこなんてなかった。数歩後退するくらいの威力を持った大爆発、それはポケモンそのものへの危険も伴ってくる。そんなの誰だって分かるというのに、躊躇なく命令するなど!
やはり環境がなまえを変えてしまったのか。そう思うと、例え力尽くにでも彼女をここから引きずり出さなければと、そんな衝動に駆られた。
やがて空気中に飛散していた粉塵が晴れる。鮮明になった周囲を目視すれば、案の定ぐったりとして動かないカイリューと、こちらに背を向け走り去ろうとしているなまえを視認した。
誰が逃がすか。逃してなるものか! 地面を蹴り、逃走を試みている背を追いかける。追われていることに気がついたのか、なまえは驚愕した表情で振り向きもう一つモンスターボールを放った。
「クロバット、あのトレーナーにエアカッター!」
ぶつり。ぶすぶすと燻っていた怒りが、とうとう爆ぜる。細い血管の一本、或いは二本が、確実に切れた音がした。
こちらに飛びかかってくるクロバットは目を見張るほどの速さだ。しかし標的は俺自身ときた。「ッこの、ふざけるなよ…!」それは駄目だろう。ポケモンは人を傷つけるための生き物でも、まして利益のために使役する道具でもない。身体中の血液が沸騰する。頭に血が上る。なまえの腐り切った思考を俺がどうにかしてやらなければ。手遅れになるその前に。
「どこまで堕ちれば気が済む!! プテラ、岩雪崩!」
本当はカイリュー以外のポケモンを使うつもりなんてなかったが、今はそんな悠長なことを言っている場合でもなかった。プテラを出しクロバットの猛攻に対応するものの、コンマレベルの判断の遅れでクロスポイズンの切っ先が頬の皮膚を裂き、どろりとした液体が表皮を伝う。が、別に傷の一つや二つくらい、どうということはない。これから手に入るであろう結末を引き合いに出せば、血液くらい幾らでもくれてやる。
なまえのクロバットはプテラの岩雪崩が直撃し気絶している。悔しそうに唇を噛み締めている彼女はなおもじりじりと後ずさり、俺から距離を取ろうとしていた。
まずは逃げる術を奪ってしまおう。そう考えプテラの名を呼ぶと、意図を汲んでくれたようで耳を劈く金切り声が上がった。まるで超音波のようなそれは大気を振動させ、周囲に轟く。この声に慣れていない者はろくに立っていられないはずだ。無論なまえも。
存分に叫声を木霊させ、なまえが蹲るのを確認してからプテラに制止をかけた。歪んだ波長は元通りになったが、この俺でさえ耳鳴りが響いている。持ち主である人間がこうなる程なのだからなまえの反応は至極当然のことだ。手で両耳を覆い、本能的に危険から逃れようと身を小さくするしかない。
「……なまえ。立つんだ」
縮こまり動けないなまえの傍に歩み寄り声をかけたが無反応を決め込まれた。鼓膜を破らない範囲に留めておいたのだから声は届いているはず。無視か、それとも。
一向に動く気配がないため腕を掴み無理やり立ち上がらせたが、どうやら脱力してしまっているらしい。勢い余って倒れ込んできた。ああ、どうりで。そう納得しはするものの、労ってやるつもりなど毛頭なかった。常の俺ならばもっと穏便に事を運べるんだろうな、と頭の片隅で考えたが、生憎今の自分はそれを実行するほどの余裕を持ち合わせていない。
「……て……」
「うん?」
「離して」
「……その身体でよく言う」
「離してってば!!」
残り一体のポケモンを出すつもりなのか、なまえの手が腰ベルトに伸ばされる。腕だって震えてろくに力も入らないくせに、往生際の悪い。
最後の砦とも言えるモンスターボールを手にした細い腕を弾く。すると思惑通りにそれは容易く手から落ちた。ポケモンが飛び出してくる猶予はほんの一瞬、その合間にプテラがモンスターボールに飛びかかり、開閉スイッチを破壊した。こうなるとあとは只のガラクタへと成り下がる。
罅割れて正常に機能しないモンスターボールを一瞥し、いよいよ窮地に至ったのを自覚し始めたのか、なまえの顔が青ざめていった。先ほどまでの強気な態度から一変、途端に脆弱な様相を呈し始める。ポケモンがいなければ非力な人間だ。
「……け、警察に突き出すつもりなら、さっさと連れていって」
「俺がいつ、そんなことを言った」
「……え」
まさか見逃してくれるのか、と。そう問うてくるなまえの目は、いちロケット団員のものだった。それにまたどうしようもなく嫌悪を抱く。なまえがロケット団で何年悪事を働いていたのかは知らないが、思考回路が毒されてしまっているのを目の当たりにしていながら見限るほど俺は出来た人間じゃない。
「ずっと探してたよ。仕事の合間を縫って、ずっとね」
「……そんなこと頼んでない」
「知ってるさ。これは俺の意思だ」
近距離でかち合うなまえの瞳が不安定に揺れている。顔に手を伸ばせば大きく身体をびくつかせた。「っ殴りたいのなら殴ればいい! それくらいの覚悟なんて、とっくに……!」声を荒げて睨みつけられたが、その目に刹那恐れをちらつかせたのを俺は見逃さなかった。本心を悟られないよう躍起になっているだけだ。
恐怖しているなまえの姿は、俺の記憶している過去の彼女と重なる面影がある。結局のところ、彼女の本質は昔から何一つ変わってなどいないということだろうか。それならまだ救いはある。
血色の悪い頬を撫で指を耳に掠めれば、大袈裟なくらい肩が跳ねる。殴る気なんて最初からなかった。痛みを覚悟していたらしいなまえは、その予想に反した手つきに怯えた視線を寄越す。ツツ、と肌をなぞると唾を飲み込む音が聴こえた。つい口角が、上がってしまう。
「俺がなまえを更生させるよ」
ワタルは せいぎを しっこう した! ▼