※ひとが死にます
佐藤さんの黒い幽霊の自我が形成されつつあると、そう確信を得たのはここ数日のことだ。佐藤さんには告げてはいないが、実は当初は失礼ながらも計画がここまで順風満帆に進むとは思わず、更には黒い幽霊に自我なんてものを付属させるのも不可能だと踏んでいた。そんな先入観を持っていたせいか、俺は黒い幽霊の些細な変化に無意識に気がつかないふりをしていたらしい。しかしそれも限界を迎えた。最早黒い幽霊が自我を持っていると認めざるを得ない状況だった。
宿主に従順であるならまだしも、己の欲望を動機にされると何をしでかすか知ったものじゃない。今更絶命することへの恐怖心は抱いていないが、それでも思考を汲み取れないこともあり不気味だ。
佐藤さんの黒い幽霊は未だになまえを殺すことに執着している。あまりに気の毒な光景にいても立ってもいられず、俺はとうとう重い腰を上げてさりげなく佐藤さんに申し出たのだが、彼は言った。自分は何も命令をしていないと。つまり、あの黒い幽霊は己の意志でなまえを死なせているということになる。毎度毎度、形を成す度になまえを殺す。逃げられても追いかけて殺す。隠れても引き摺り出して殺す。とにかく殺す。記憶に蘇る鮮やかなデス・オンパレードに、割と真面目に可哀想な奴だよなと同情する。蘇生するとは言っても、俺だって自ら望んで死に至る痛みを味わいたいとは考えない。
そんな哀れななまえは、どういうわけか今日はまだ息をしていた。動く姿を見かけて「お、生きてんな」と思うあたり、日々どれだけ死んでいるのかが窺えて尚更不憫だ。
銃の手入れをしながらなまえを視界の端に捉えていると、その隣にもう一つの影が現れる。……出やがったよ、佐藤さんの黒い幽霊が。俺はものの数秒後になまえの悲鳴が轟くのを覚悟したのだが、意外にも予想は外れた。それに、あの二人の声も聴こえる。想定外の出来事につい作業していた手を止め耳をそばだててみると、なまえは「なんでいっつもいっつも殺してくるの? わたしを殺すのがそんなに楽しい?」と怒りを含んだ声色で言っていた。まあそうだよな、あんなに理不尽に殺されまくってキレない方がおかしい。黒い幽霊の声は聴こえなかった。
「そろそろ本当に我慢の限界。むしろ今までよく耐え忍んだと思う……。だから考えたんだよね、あなたへの対策みたいなの。効果覿面なんじゃないかな~!……あなただって痛いのは嫌でしょ? ならどうして殺してくるのか白状して! そしたらこの作戦は保留にしておいてあげる」
随分と自信ありげな口調で一気にまくし立てたなまえは肩で息をしている。俺は先行きが気にかかり、耳を澄ますどころか二人の様子を直視していた。
「なに? どうして黙ってるの? 言えないようなことなの?」
「言葉……ワ、わかん……な……イ」
「………………」
放任によって黒い幽霊は自我の他にトボける技術も身につけていたようだ。なかなかやるな。相手にしてるなまえにとっては怒りを助長させる要素にしかならないのだろうが。
やがてなまえの身体がわなわなと震え始めた。「佐藤さんの思惑どおりに自我が芽生えたのはすごいって、ちょっとは思ってあげたのに…」相手は自分を殺してくる存在だというのに。賞賛するのはずれてるんじゃねえのか、なまえ。
「トボけるなー!!」
「……ほ、メて……」
「え……? なに?」
「ほめ、テ、て……ほ……しい……クだ……さ、い」
「………………」
開いた口が塞がらなかった。褒めて欲しいだって? どういうことだ。なまえも俺と同様の心境なのか、口をポカンと開けて惚けている。
硬直しているなまえに構わず、黒い幽霊は褒めろ褒めろと口にし続けた。一体どんな欲なんだ。思考が読み取れないのはやはり痛い。「……ふーん。わたし褒めないからね。今までの仕返し。なにがなんでも褒めてあーげない」状況の整理がついたのか、なまえがそう口にする。すると馬鹿のひとつ覚えのように同じ言葉を繰り返していた黒い幽霊はピクリと反応を示した。
「……ホめ、て……ほめテ……」
「だから褒めないってば。今までの自分の行いを悔やんでね」
「……ほめ」
「ない!」
「……」
頑なに意思を曲げない#name1#と黒い幽霊。ピリピリとした空気を肌で感じているのは俺だけか? 気づけなまえ。いや逃げたところで追いかけ回されてぶっ殺されるのは目に見えてはいるが、もしかしたらという可能性も無きにしも非ずだからな。「……う、ぅゔ、ヴうぅ」黒い幽霊の喉奥から発せられたのは、奇妙な唸り声。奴は先ほどのなまえと同じように、引き締まった身体を震わせている。嫌な予感しかしなかった。「ッい゙、ぁぐ……!」アーアーやっぱりな。俺は凄惨な殺人現場から目を逸らして張り詰めていた息を一気に吐き出した。
結局その日は一日中褒めろ褒めろと狂ったように繰り返す黒い幽霊に嬲り殺しにされるなまえを拝む羽目になったのだった。
後日。相変わらず放任されている佐藤さんの黒い幽霊を褒めちぎるなまえを見かけた。先日の事件が効いているらしい。それでも殺されることには違いないが、しかし以前比較すると幾分マシになっているような気がしなくもない。
ちなみに効果覿面と自信あり気な対策とは何だったのか訊ねたら、俺の黒い幽霊に守ってもらうのだと言っていた。いや俺任せにするつもりだったのかよ。勘弁してくれ。