自死

※佐疫の過去捏造/流血・暴力描写あり

 鮮やかな赤色が飛び散る。それからキインと耳に響く金切り声。痛みに喚きながら地をのたうち回る人ならざる者を、なまえは苦い顔で見下ろした。
 つい先ほど、己に伸ばされていたはずの腕が鮮血にまみれている。かすり傷などではなかった。鉛玉は筋繊維を引きちぎり、人骨に大穴をあけ、肘より先すべてを肉塊へと変えてしまったのだ。いっそのこと、頭を狙えばいいでしょうに。と、なまえは一人ごちながら、食道の奥底からせり上がってきた液体を、やっとの思いで飲み込んだ。ヒリヒリと独特な痛みに喉をさすると、目にはじんわり涙の膜が張る。そうして数十メートルほど離れた方向へ恨めしげな顔を向けた。物陰に身を潜めた銃口が確かに反射しきらりと輝いたのを、なまえは見逃さなかった。
 再び乾いた音と共に鉛玉が空を切る。次は地べたを這う痛々しい亡者の、新鮮な片腕が獲物となった。瞬き一つする合間に、上腕部から下がなくなっている。ひび割れた声が辺り周辺に響き渡った。いびつな肉の断面図からは血液が勢いよく噴き出し、地面を赤く濡らし続けている。両手を失った亡者は、それでも逃走を図ろうと、懸命に匍匐前進をして女から距離を取らんと試みていた。「……もう遅いよ」なまえは震えた声で言い放つ。男が恐怖に染まった顔で振り返った。たすけて。わなないた唇が言葉を形づくる。直後、片足が飛んだ。額には哀れなほどに脂汗が垂れ流されていた。なまえは目を瞑る。「……もう、遅いんだよ」瞼をあげれば、男の姿は既になかった。地に残る液体だけが、今ここで何が起こっていたのかを物語っている。
 なまえは張りつめていた息を一気に吐き出した。窮屈な肺がギシギシと軋む。ゆるく拳を握り胸にあて、呼吸を整えようと試みる。乱れた息遣いは、惨たらしい光景への嫌悪を示していた。なまえには覚悟がないわけでも、まして任務を放棄するつもりもなかった。ただ、任務を遂行する方法が、なんとなく気に入らなかったのだ。
 ザリ、と砂利を踏みしめる音がした。その方向へ顔をあげると、涼しげな顔をした獄卒が歩いてきている。外套を緩やかにはためかせ、優雅に歩を刻んでいる。「……佐疫」女がかすれた声で彼の名を呼べば、ニコリと美しい笑みが返ってきた。

なまえ、お疲れ様」

 凛としていながら、柔らかな声。#name1#にはそれが、どうしようもなく恐ろしいと感じられた。ぷつぷつと表皮には鳥肌が浮かび、四肢の末梢から体温が失われる。

「作戦が上手くいって良かった」
「……なんで」
「でも、なまえはもっと警戒しなきゃ駄目だ。今回は俺がいたから無傷で済んだけど」
「……警戒は、してたよ」
「そう?」
「そう。……なんで、なんで佐疫、手を出しちゃったの」
「……」
「わたし、説得してた。あの人も納得してくれた。大人しく冥府に行くって」
「甘いなあ」

 佐疫と呼ばれた男は飄々と言い放つ。何を考えているのかわからない双眼。淡い水色の瞳はどこか軽蔑の色を帯びていた。「未練があるような亡者との口約束だなんて、一体誰が信じられる?」もっともな意見ではあったが、地獄の鬼にしては人情を持っているなまえにとっては気にくわないやり方だった。「あの亡者がどういう風にして死んだのか、理由は分かっているだろう?」柔らかな微笑み、凛とした声。なまえは頷く。「自殺、でしょう」知らないはずがなかった。閻魔庁からの指令を受けた際に詳細は聞いていたから。

「そう、自殺だ」
「それがどうしたの」
「……俺は、自ら望んで命を落とすことほど馬鹿な真似はないと思ってる」

 眉根を寄せてそう言った佐疫をなまえは静かに見つめる。「理由がなんであれ、自殺を選ぶような奴は嫌いなんだ」外套の中に拳銃をしまいこみながら佐疫は淡々と言い放つ。「人間はいつか必ず死を迎えるものなのに、わざわざ自分で死を望むなんて、そんなふざけた話はないと思わない?」なまえは何も言わない───否、言えないのだ。あまりにも佐疫が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているものだから。

「まるで自分を見ているようで、反吐が出そうなんだよ」

 佐疫は侮蔑を含んだ声音で言った。