日々の重責に言い知れぬ虞を抱いていたアノ時間が、今となっては懐かしい思い出に成り果てている感覚だと表すれば良いのでしょうか。当時はあれほど迄に逃避したかった現実が、現在はこうまでも愛おしい。大切なものは失ってから初めて気が付くとは、よく言ったものであると、切に思います。私は私なりに、あの大任を仰せつかっていた日常に騒めく心を持ちながらも、それなりの安定を覚えていたのかも知れません。
───頭が痛い。こんな事は誰も望んではいないのです。けれど、こうなってしまった以上、駄目だったと言わざるを得ません。今回も。そしてまた次も、その次も。次はいつ記憶を所持しているのかは知り得ませんが、私達に平穏な日常を送る権利はきっとこの先在ることはないのでしょうね。きりとやえれんぞ。
次もその次もそのまた次も
