※宮田司郎が屍人化しているうえに牧野慶の性格がおかしい/暴力描写あり
羽生蛇村の様子が、異様である。
なまえは身を隠そうと入り込んだ家屋のなかで使えそうな鉄パイプを発見し、それを手に取り外へ出る。彼女はと或る目標地点を目指して歩いていた。襲いかかるヒトならざる者となんとか揉み合いながら、火事場の馬鹿力で気絶させる。その繰り返しを続けながら。
村民はみな、自我を持っていなかった。眼から血の涙を流し、奇妙な呻き声を上げるのだ。なまえは隣の家に住んでいたヒトまでもがげに恐ろしい容貌へ変化していることにゾッとした。まさか、自分も彼らのように───いや、考えるより、足を動かさねば。
なまえは戦々恐々してはいるものの、それでも前に進もうとしている。だが、後ろにいる人物がブラウスを掴み、加えて鈍足なものだから、当たり前だが布が伸びて仕方がなかった。彼女は深い溜め息を吐くと、足を止めて後ろを振り返る。
「あの……」
「はい?」
「……できれば、あんまり服を引っ張らないでほしいなあと……」
「すみません……」
「……はあ」
なまえは再度深いため息を吐いた。
眼前に佇み眉尻を下げている人物は、かの牧野慶に他ならない。村が変貌してから、幸運にも───蓋し、彼にとってはだが───鉢合わせになったふたりは、行動を共にしているのだ。
街角から突然にぬうっと現れた牧野に驚いたなまえは意味を成さない言葉で叫び声を上げ殴りかかろうしたところ、彼は信じられないくらいに俊敏な動きで回避してみせた。その回避力に鑑みれば、村民に立ち向かうのには十分な戦力と言えるだろう。牧野は断固として首を縦に振らなかったが。
しかし、今は牧野とすったもんだしている場合ではない。立ち止まってはいられないのだ。少しでも前に進まなければ、変わるものも変わらないだろう。
牧野の方へ身体を向けているなまえは、ハッと彼の後方から襲いかかろうとしている村民に気がついた。そして牧野を退けて立ち向かおうとしたが、村民はその行動よりも素早く彼に飛びかかった───そう、飛びかかろうとした、のだ。背後からの強襲にも関わらず情けない声を上げながらも回避することに成功を収めた牧野に、なまえは驚愕する。そしてこのひとはわたしがいなくても生きていけるのではないか、と思った。彼は本能で危機回避できているのだ。武器を持たずとも、生き残る術を持っている。なまえは共に行動する必要性を己に問うた。牧野に問いはしなかったが。
なまえは黙々と、と或る場所へと向かって歩みを進めている。このにわかに信じがたい現実を、どうにか突破する方法を得ているかもしれぬ場所へ。
「なまえさん、あの……」
「なんですか?」
けれども牧野はそれを到底受け入れられるわけがなかった。「あの……宮田医院へ向かうって……」わなわなと震えながらもそう口を開く彼に、なまえは続ける。
「宮田先生ならなにか知っているかもしれないですし、対処法を教えてくれるはずです」
なまえがそう言うも、牧野は納得のいかない表情を浮かべる。それも当然だった。
牧野慶と宮田司郎は極めて不仲である。実の双生児であるにも関わらず、彼らは仲が悪かった。その理由をなまえは知っていた。牧野がそう言っているからだ───「私と宮田さんは相容れないんです。未来永劫」と。彼女はそこまで断言することができるのかと目を白黒させたものだ。実際、もし仮に村のなかで彼らが遭遇すると(狭い羽生蛇村ではそのような事象がしばしば起こる)互いに首を百八十度回すのだ。視界にも入れたくないということだろう。どうしても言葉を交わす用がある際には、なまえを介して話を進めるのである。ところが介さずとも声は届いているので、なまえはそれをただの子どもの喧嘩のような、そんな感想を抱くのだった。
なまえが狼狽する牧野を宥めるようにそう言うと、彼は唇を尖らせる。「宮田さんに頼らなくても、私がいれば良くないですか」なまえはそれを聞き全力で首を左右に振った。そんなことは死んでも嫌である。確と拒否である! なにが悲しくてヘタレかつ無能と共にこの化け物が徘徊する村で共に肩を並べなければならないというのか。彼女は生き延びるためには牧野は頼りにならない存在であると理解していたつもりであった。
「牧野さんが宮田先生と仲が悪いのはわかっていますけど、でも今は緊急事態なんですよ?」
「それはまあ……分かりますけど……」
分かっていない顔である。
なまえは苦笑して鉄パイプを握り直すと、宮田医院へ向かう道を辿り始めた。牧野はその後を渋々しながらついて行く。ここでも決して前を歩こうとしないヘタレである。
道中、襲いかかる村民をなんとか撃退し、ふたりはとうとう宮田医院に到着した。当たり前だが電気はついていなく、なかは暗い。「……」なまえはゆっくりと扉に手をかけた。そして、突入するのを確認するように牧野の方へ顔を向ける。すると当の彼はどこか感情の読めぬ瞳を携えており、そんな様子に思わず眼を丸くした。
「……牧野さん?……」
不安そうになまえがそう口を開くと、牧野はにこやかに口角を上げた。「さあ、行きましょう」先とは打って変わり、医院のなかへ侵入するのを許容しているようである。彼女はその差異に驚くものの、抵抗されるよりは幸先がいい。つまるところ、ふたりは一致団結していた。その結論が是とされるのかどうかは疑問ではあるが。
「い、行きましょう」
なまえとて現状恐ろしかった。ヒトならざるモノが歩き回っているのだ。恐ろしくないわけがなかった。
───ギィイイ……。扉の軋む音が院内の廊下に響き渡った。反響がふたりの身体を震わす。ヒトの気配は一切ない。なまえは恐る恐る足を踏み入れた。そして牧野が持っていた懐中電灯を受け取り、廊下を照らす。
空気はひんやりと冷たい。嗅覚を刺激するのはアルコール消毒液のにおいだ。静かな院内にはふたりぶんの足音が鳴り響いている。
ひとつひとつ部屋の扉を開け宮田がいるか確認していくと、なまえはふと廊下の先の方に人影が揺らいだのを見て懐中電灯を消した。その様相を目にした牧野は壁に張りつき、彼女はそれ倣い慌てて身を潜めた。なまえの背には冷や汗がひと滴、流れる。
───カツン。カツン。靴底がコンクリートに当たる音がふたりの耳に入る。なまえはごくりと唾を飲み込むと、こっそり壁から顔を出して様子を窺った。
信じたくなかった。しかしそれは覆しようのない事実だった。
宮田はすでに化け物になっていたのだ。白衣は血に塗れ、虚ろな顔の眼からは、血の涙が流れている。彼は手持ち無沙汰にあたりをウロウロしていた。
「……あの、なまえさん」
「っ!? な、なんですか?」
宮田に視線を奪われていたなまえは、突然背後から声をかけられ驚き、飛び上がった。それを目にした牧野は申し訳なさそうな面持ちを浮かべつつ「宮田さん、もう手遅れみたいですが……」と言った。その言葉を耳にしたなまえは彼の方へ顔を向けると、眼を丸くした。
「な、なんかちょっと嬉しそうじゃ……?」
「……そんなことないです」
そんなことはあるのである。
なまえは緩やかに口角を上げている牧野をじとりと睨む。しかし、やはり彼はそれににこやかに笑んだ。「宮田さんはもう頼りになりません。ここから出ましょう」なんだか途端に元気になった牧野である。
なまえは考える。宮田は屍人化してしまった。だとすると、これから自分たちはどこに向かえばいいのだろうか、と。
「牧野さん、どうしましょうか……」
「……私は、なまえさんがいたらそれだけで」
「冗談はやめてください」
「……」
なまえは考える。頼るべきニンゲンはいなくなってしまった。しかしそもそも、この村から出てしまえば万事解決ではなかろうか? 今さらながら、彼女は羽生蛇村から脱出しようと考えた。
そして、ひとつ重大なことに気がついた。
「ま、牧野さん」
「どうされました?」
「……」
「なまえさん?」
なまえは頭を抱えながら言った。「わ、わたしたち、宮田先生をどうにかしないとここから出られないです!」それを聞いた牧野は目をパチパチとしばたかせる。
構造の都合上、宮田医院には廊下が一本走り、そこに部屋が連なっているのだ。つまるところ───
「……一方通行なんです……!」
なまえの悲痛な声を聴いた牧野は腕を組み考え込む。
「確かに、なまえさんの言う通りですね」
なまえは脳内をフル稼働させている。考えろ、考えろ。突破する方法があるはずだ。
静かに考え始めるなまえを横目に、牧野は壁から顔を覗かせ宮田へ視線を移す。彼はトンカチのようなものを手に持っていた。そしてふらふらとしながらも地に足をつけ、なにかを探すかのように首を動かしている。
彼がなにを求めているのか、牧野は漠然と察していた。腐っても彼と宮田は双生児であるのだ。本人らは認めたくはないのだが、互いのことは己が一番よく理解している。
宮田はなまえを欲しているに違いなかった! 牧野は彼が彼女のことを求めているのを常日頃から感受していたである。宮田は牧野を憎み、しかしながら羨望していた。彼は村民から崇め奉られている牧野の───求導師の姿が、ひどく恨めしかった。それは牧野も肌で感じていた。
牧野はなまえに好意を抱いていた。そしてそんな牧野に感化されるように、宮田司郎もまた然りなのである。
牧野は求導師という立ち位置に居るも、本心、その性格は歪みきっていた。その背には村民の重圧を背負い、期待されることに関して、彼は息苦しさを抱いていた。ゆえに、牧野の性格は二分してしまっているのだ。求められる求導師という姿と、圧せから解放される牧野本来の姿は、当然ながら異なる。なまえはそんな彼のことを、無意識下に総て包容しているのである。そして牧野はそれが大層心地よかった。
宮田は畏敬されている牧野が己に無いものを持っていることが妬ましかった。ただでも求導師として慕われているのに! そう、彼は牧野が大嫌いだった。牧野も牧野で、隙あらば奪取する心積りが垣間見える宮田が大嫌いだった。
なまえは
つまるところ、彼らはなまえの惹かれる要所を存分に堪能しているのだ。舌の上で転がし、咀嚼し嚥下し、我が物としたいという感情を所持している。
「牧野さん」
「はい、なんでしょうか?」
「あの……とっても言いづらいのですが」
「はい」
「えっと……その……ま、牧野さんが囮になってくれませんか」
「私がですか?」
なまえの言い分はこうである───牧野は宮田と仲が悪いので囮になり得る人材であり、意識が牧野へ集中しているその間になまえは廊下を突っ切り、そして牧野はなんとか宮田をやり過ごし後に続く。見るからに穴だらけな作戦。勝算は低そうである。いくら鉄パイプを持っていたとて、成人した男性と揉みあえば返り討ちにあうのは明白だ(牧野が立ち向かえばどうにかなりそうではあるが、それはあまりにも無謀であるのかもしれない)。なまえはそれを危惧し、極力力技にならないような選択肢を選んだつもりなのだ。
「……分かりました。やってみましょう」
牧野は存外素直に首を縦に振り、意を決したような面持ちで立ち上がる。それを確認したなまえは壁から離れ、近くにあった救急カートの影へと身を潜める。
ふたりは目配せすると、牧野は声を上げた。存外力の籠った声だったことになまえは関心したが、今はそんなことに気を留めている場合ではない。
当然ながら、宮田はその声に反応を示した。歩みを止め、ふたりの居る方へぐるりと身体の向きを変える。宮田は真っ直ぐに牧野の元へ歩み進む。それを目にしたなまえは、急いで彼らの影を縫うようにして走る。走るはず、だった。
「……!?」
どういうわけか、宮田はなまえがそこに居ることを把握していたかのように、彼女に掴みかかったのだ! そのまま力尽くでなまえを押し倒すと、その上に馬乗りになる。彼女の手から懐中電灯も鉄パイプも逃げ、辺りは暗闇に包まれる。
「っ、いたい……み、宮田先生、わたしです! やめてくださっ───」
い、とは続かなかった。宮田はなまえの顎を掴み上を向かせると、荒々しく彼女の唇へ自身のそれを押しつけたのだ! なまえは混乱して思い切り腕を伸ばすが、化け物となり理性の失せた力は途方もなく強く、総て抑え込まれてしまう。
「っん、んんー!」
なまえはじたばたと手足を暴れさせるが、逃げることは難しかった。そしてじわりと双眸に涙が浮かんだころ、突然宮田が崩れ落ちた。胸の上に倒れた彼を見て、なまえはぱちくりと眼を丸くした。
「ふう……」
にわかに信じがたかった! 牧野はなまえの手から離れ落ちた懐中電灯を取り、鉄パイプで宮田の頭を殴打したのである!「え……」牧野はなまえの上に倒れ込んだ宮田を足で蹴飛ばすと、手を差し伸べ彼女を立ち上がらせる。なまえは未だになにが起こったのか判断できない。
「……」
牧野は眉間に皺を寄せている。なまえは見るからに機嫌の悪い彼を眼にし、なんだか居心地が悪かった。
「……ま、牧野さん……?」
恐々なまえが口を開くと、牧野はにっこりと笑顔を貼りつけ彼女のことを見つめる。
「おや? まだ息をしているみたいですね」
そして柔和な笑みを浮かべたまま、唸り始めた宮田を再び鉄パイプで殴った。気絶させれば良いだけの話であるというのに、幾度も幾度も行われる容赦のない打擲に頭部がひしゃげ、粉砕した頭蓋骨の隙間から脳みそがぬるりとはみ出る。なまえは牧野のことが恐ろしくなってきた。
牧野はヘタレなんかではないのだ! 彼はなまえの前では猫被りなだけであり、内情は凶暴性を孕んだ、たちの悪いニンゲンなのだ!
なまえは、見てはいけなかったものを見てしまったような気がした。己の知らぬ牧野が眼前に佇んでいる。それがただただ恐ろしかった。
「さあ、行きましょう」
牧野はそんななまえのことなど露知らず、彼女の手を握ると宮田医院を後にする。なまえは鼓動が収まりそうになく、声を震わせながら彼の名を呼ぶ。
「どうされました?」
再びそう言い振り返る牧野はやはり笑んでいて、なまえはそれが末恐ろしかった。思わず視線が地面に縫いつけられる。
牧野は俯くなまえの顔を覗き込む。「なまえさん」口角を吊り上げ、自身の名を呼ぶ彼を見たなまえは、ぞっとした。眼が笑っていないのだ。深い闇の色を携えた瞳は、なにを考えているのか、察知することができない。
「ねえなまえさん。私は、貴女のことが好きなんです。愛しているんです」
「え……」
「宮田さんなどになまえさんをくれてやる謂れなんて有りませんよねえ」
突然の告白になまえは冷や汗が止まらなかった。目下の牧野は腹の底から湧き上がる憎悪を孕んでおり、嫌な予感しかしなかったのだ。
牧野はうっとりとした恍惚の表情を浮かべている。思考が、読めない。「……#name1#なまえさんは私と共に居るべきです。寧ろそれ以外の選択肢なんてありますか?」そう愉しそうに言葉を紡ぐ彼を前に、なまえは鼓動が速まるのを自覚した。
「これ以上倖せなことって無いでしょう?」
彼は正気でありながら狂気に満ちていた!
201222