プレイタイム社のおもちゃに対し、子どもたちは異様なまでの執着を示した。まるで目視できない、なにかしらの力が──この場合、呪術や催眠術などという非現実的なそれが該当する──作用しているかのように。子ども心をくすぐる特徴を有し、また間髪入れずに新作を発売するという迅速な循環で購買意欲を煽るという戦略も関与しているであろう。無尽蔵に湧いてくる案は労働に身を投じる従業員たちの努力の結晶とも表せ、勤務中に設けられていた休憩時間は十分未満などという典型的なブラック企業であるがゆえの結果とも言える。ただ、果たしてそれだけが理由であると断言できないことを知っているものは少ないのが事実だ。
しかしながら、その繁栄が続いたのは十年前までの話である。プレイタイム社はとある事件を皮切りに一気に衰退し、そして廃業した。従業員が失踪したのだ。それも数人などという規模ではない。ほとんど全員だった。
実を言うと従業員は殺害されたのだが、ニュースでは隠蔽のために失踪したという報道をされた。いつもと同じように働いていた一九九五年八月八日午前十一時、工場内でおもちゃたちが暴動を起こしたのである。日頃の鬱積を晴らすかのように残酷な手段を使用し、片っ端から従業員を殺害したのだ。逃げるものたちを執拗に追いかけ、追いつめ、そして捕食した。監視カメラにはそのときの無残な映像がはっきりと残されている。
では、なぜ彼らが暴動を起こしたのか。その動機は憎悪だ。己をおもちゃへと作り変え、人間ではない生き物にされたという憎悪。
プレイタイム社の工場には、プレイケアという孤児院があった。表向きは孤児たちに未来を、という名目で設置された施設だったものの、実際はおもちゃにするための人材を選別するための場だった。里親のもとへ行き倖せになれるのだとうそぶき、地下へ連れて行き人体実験をされる。手頃な被検体だったのだ。孤児を迎え入れると宣伝すれば、楽に実験を進めることができるもっとも効率的な手段。麻酔によって意識朦朧としたなかで腹を裂かれ内臓を取り出される現実に、皆頭がおかしくなりそうだった。実際人格が崩壊するものもおり、カウンセラーを常駐させる対応を余儀なくされた。己の身に起こったことを受け入れられず暴れる子どももいたが当然だろう。カウンセラーがそれに巻き込まれて死亡することも日常茶飯事だった。また、逃亡防ぐために夜間は催眠ガスを放出するなど、その管理ぶりは徹底されていたものだった。
マシュー・ハラードという十五歳の少年がいた。不慮の事故で家族を亡くしプレイケアに引き取られた彼は、その人間性を周囲から高く評価されていた。皆の人気者だったのだ。抜きんでて英明というわけでも運動が得意というわけでもなかったのだが、会社側からすれば極めて理想的な子どもであり、ぜひとも実験体にしたいと熱望されるほどの貴重な人材だった。里親のもとへ行くには少々年を経ており、彼もそれを理解していた。そしてプレイタイム社のためになると言い聞かせられ、大きすぎる期待に応えようと承諾してしまったのだ。もとより引き取り手が現れないのを悟っていたこともあり、それしか道はないと思いつめていたのもあったのだろう。
そんな一見幸福になるための施設であると豪語しているプレイケアにてカウンセラーをしているひとりの女がいる。物腰柔らかで、まさしく子どもたちの拠り所という役目を果たしている人物だ。現実を受け入れられず暴れたり泣き喚いたりされても寄り添い、適合できずに思考がまとまらないまま支離滅裂な話を一方的にされても傾聴に努める。女は子どもたちのことが大切だった。プレイケアを去るという選択肢もあったものの、彼らを見捨てることができなかったし、なによりも皆をおもちゃへと作り変えた上司──ハーレー・ソーヤー博士から逃れることができなかった。
ソーヤー博士は女に異様なまでの興味を抱いていた。実に利用できる人間だったからだ。女が十年前に勃発した暴動に巻き込まれなかったのも、彼が手を差し伸べたからである。
おもちゃにされた子どもたちのなかには、自我を保てず人格崩壊するものもいる。だが、女が関わるとその拒絶反応を極端に抑えることができるのである。無論、毎回というわけではない。なかにはどうしようもなかった子どももいた。しかしほかのカウンセラーと比較しても、彼女が手を差し伸べることで明らかに彼らをすくい上げることができているのだ。せっかくおもちゃへと作り変えたというのに、それが使えないただのガラクタとなってしまうのは避けたい。その思考は実験の首謀者であるソーヤー博士にとっては当然のことである。
女には逃げ道がなかった。眼前で繰り広げられる人情に欠けた実験を、ただただ呆然と見つめることしかできなかった。彼女にとってソーヤー博士とは、不本意ではあるが命の恩人でもあったし、そもそも逃亡を図ったところで彼がそれを許すわけもない。情報漏洩を防ぐためでもあったが、彼はそれ以上に己の野望を果たしたかったのだ。
プレイケアよりもさらに地下深い、通称監獄と呼ばれるところに女はいる。そこにはセーフヘイブンという子どもたちの一時避難ができる区域もあった。食糧不足という慢性的な危機があり完全な避難所とは称せないが、それでも彼らにとっては大切な場所である。
女はソーヤー博士の目を盗んではセ-フヘイブンで避難している子どもたちと会っている。根本的な解決にはなってはいないが、子どもたちは女にとっての救いだった。それは彼らにとっても同様である。苦しかったときに支えてくれた女の存在は皆にとってなにものにも代えがたいものなのだ。ソーヤー博士にとって女が彼らと顔を合わせていたことは筒抜けだったものの、特段罰を与えることはしなかった。なにをしようにもただの悪あがきだと考えており、そもそも女が己から逃げられるわけがないと確信していたからである。だからあえて見逃してやっていたのだと。
「なまえさん」
不意に、声が聞こえた。次いでやわらかいなにかが頬に触れた感覚に、女──なまえは瞼を上げる。そして焦点の合わない視界のなか、寝起き特有のぼんやりとした思考のまま、よく知っている人物の名を口にした。
「……ドーイ?」
「……、はい。なまえさん、ここは危険ですから起きてください」
「……」
なまえは粘土のおもちゃ──ドーイに揺すられ、静かに身体を起こした。ややぼうっとしているようだが、数秒ほど経過してから意識がはっきりしたようで、ぱちぱちとまばたきをする。無言でじっと見上げてくるなまえに、ドーイは居心地の悪さを覚えた。そして視線を逸らし、続ける。
「何回か声をかけても起きないので死んじゃったのかもしれないって焦りました」
「ん、ごめんね。大丈夫だよ」
「……あまり休めていないんですか」
神妙な面持ちでそう訊ねるドーイに、なまえは首を左右に振って「ちょっと疲れただけ」と返答した。
セーフヘイブンにたどり着く前に眠りに落ちていたなまえは、覚醒していると言えどどこかいびつだった。だがプレイタイム社の真実を知っておかしくならないほうがおかしいだろう。ドーイもそれは十二分に理解している。
それでも、ドーイにとって──子どもたちにとって、なまえとは大切な存在だった。ソーヤー博士のお気に入りで、彼のもとへ帰るしかないという選択肢を突きつけられている事実は心底憎たらしいが、それ以上に皆なまえのことが好きだった。苦しかったときはいつだって傍にいてくれたし、願わずとも優しく頭を撫でてくれた。セーフヘイブンに逃げ込んでから、ドーイは頼られ、先導すべき立場にいる必要があると思い知らされてきた。周囲の羨望の眼差しに知らず知らずのうちに追いつめられていた。
ドーイは孤独だった。少なくとも、彼自身はそう思っていた。誰かに頼ることも弱音を吐くことも許されないのだと、ずっとそう思っていた。被検体とされたことで己を取り巻く総べてを恨んだものだったが、なまえは唯一縋ってもいいと思える人間だった。
だからこそ許せないのだ。
なまえはゆっくりと立ち上がると、背伸びをしてドーイの頬に触れる。彼はぎくりとした。
「心配かけちゃってごめんね」
「……い、いえ、無事でよかったです」
なまえは決まりが悪そうにぼそぼそと話すドーイを見て微笑んだ。
慈愛に満ちた、惹き込まれる双眼。ドーイは無意識に唾液を呑み込んでいた。次いで口腔内が乾き不快感を抱く。己の頬に触れている手を見て、思わず顔を歪めた。白く細い腕。体格がいいおもちゃとなってしまったドーイにとって、なまえはひどく脆弱に見えた。嫌でも身長差が生まれたし、力の観点で言及すればもっとかけ離れている。おもちゃにされた当初は、人間だったころとは異なる視界の高さに違和感を覚えたものだ。それでも依然と変わらぬ様相で関わってくれたなまえは彼にとっての救世主だった。カウンセラーとして勤めているので当たり前ではあるものの、彼は以前、何気なく歩いていたときに廊下の暗がりで己の陰口を聞いたことがあった。結局は人ならざるものになってしまった存在と関わるのが恐ろしいのだろう。いつ理性を失って襲いかかるかもわからない化け物と誰が好んで関わるというのか。ただ、当然ながら好きでおもちゃになったわけではない。それはドーイ以外も同様である。しかたがないのだ。そう言い聞かせるしかなかった。
なまえはドーイの頬を撫で、ぼんやりと見つめている。そして彼が騒めく胸中を抱いていることに気がつかないまま、ハッと我に返って手首に装着していた腕時計を確認した。その姿に無性にさびしい思いを抱く。
「ヤーナビーとお散歩にいかないと。また来るね、ドーイ」
「……はい。どうかお気をつけて」
ドーイは、いつからかなまえが己のことを本当の名で呼ばないことに気がついていた。ほかの人格もいるからかもしれないとも邪推しているが、それにどうしようもなくもどかしくなるのである。
「今日も会いに行ってきたのか」
ソーヤー博士は怒るわけでも呆れるわけでもなく、淡々とした声音でそう言うと、扉を開いて己のもとに帰還したなまえのことを見やった。なまえは小さく返事をすると周囲を見渡す。
日課であるヤーナビーの散歩の時間だった。毎日決まった時間に工場内を歩き適度な運動を促す、謂わばメンテナンスだ。ずっと監獄にこもり続けていては身体が鈍ってしまうし、必要を迫られたときに不具合が起きたら元も子もない。基本的な動作を確認するための日常業務のひとつなのである。ソーヤー博士は常日頃、なまえにそう伝えている。
ヤーナビー。またの名を被検体一一六六。おもちゃとして生まれ変わったのち、著しく知能が低下したものの身体能力が秀でるという変化を遂げた。ソーヤー博士は基本的に被検体のことはものとして扱い、人権という言葉が存在しないことが多い対応をする傾向にあったが、ヤーナビーのことは名前で呼び、ほかのおもちゃたちとは少々扱いが異なるように見受けられた。そこに愛情が生まれているか否かは彼のみぞ知ると言えよう。
なまえはソーヤー博士の言動に理解が追いつかない日々を送っている。しかしおもちゃにされた子どもたちに罪はない。たとえ自我を失い襲いかかられても、彼らは被害者だ。その苦しみは計り知れないものであろう。だからこそ受け止めて応えようとしているのだ。せめてもの償いのために。
知能を失ったヤーナビーは、ソーヤー博士の目論見によって彼以外にはなつかないよう隔離されて徹底的に躾けられた。周囲の科学者はもちろんのこと、カウンセラーもヤーナビーには近寄りたがらなかった。捕食されるからだ。それなのになまえには擦り寄るので、皆首を傾げたものだった。
ゆえにソーヤー博士はなまえには価値があるのだと判断した。被検体の理性を保つことが求められるなか、そばにいるだけで飛躍的に彼らの人間らしさを引き戻せるなまえは貴重な人材だったからである。
ただ、どういうわけかヤーナビーが見当たらない。名を呼び部屋を巡ってみるも姿が見えないのだ。首を傾げていると、ソーヤー博士が部屋に設置された監視カメラの映像を映している液晶パネルを見上げ「ヒーローごっこのつもりかね」と呟く。
「面倒だ。もっと駒を手配させねば」
「博士?」
「……」
話しかけても無視をされたなまえは、彼の隣に移動して同様にカメラの映像を見つめる。
だれかが映っている。
なまえは詳細を確認するため液晶パネルに顔を近づけようとするが、ソーヤー博士に制される。どうやら見られたくないようである。真意を汲めず首を傾げるなまえに、彼は手を叩いて声を上げた。
「ヤーナビーと散歩に行ってきなさい」
出番がくるかもしれないからな。ソーヤー博士がそう続けると、途端に不揃いな足音が聞こえ、なまえの背後で静止する。振り返ろうとしたら自分よりも倍以上大きなそれにのしかかられ床にしりもちをついた。擦り寄る毛糸のたてがみにくすぐったさを覚えていると、ソーヤー博士が「迅速にな」と間髪入れずに言う。ヤーナビーはその命令になまえの服を噛んで半ば強制的に立ち上がらせる。そしてふたりが部屋から出ようとしたとき、ソーヤー博士が語りかけた。
「なまえ。きみは誰の指示に従い、誰の為にここにいる?」
彼はなまえに問うておきながら、彼女の方を振り返らない。その視線は液晶パネルに釘づけだった。
拒絶を許さない冷淡な声に、なまえの肌がぶわりと粟立つ。空気がひりついた。もはや質問ではなかった。求められている返事はたったひとつだけだろう。それ以外は許されない。「……ソーヤー博士の指示に従い、ソーヤー博士のためにここにいます」かろうじて絞り出された声はあまりにか細かったけれど、ソーヤー博士の耳には入ったようである。
「よろしい」
高笑いに背を押され、なまえとヤーナビーは部屋を後にした。
あまりにやるせない。逃げられないことを理解しているからこそ口にできる発言だろう。言葉として表出させることでまさしくその選択肢がないのだという現実を突きつけてくる。まるで呪詛のように。セーフヘイブンに通うことを許されているのも同様だ。彼はなまえは己のもとに帰ってくるほかないのだと、そう確信してやまない。
実際、なまえはソーヤー博士が恐ろしかった。抵抗しようものならどのような仕打ちをされるかは一目瞭然である。それになにより、なまえは子どもたちへ矛先が向けられる展開を危惧している。ただでさえ傷心し憔悴しているというのに、さらに拍車がかかってしまうことは回避したかった。ソーヤー博士は子どもたちを人質になまえを手元に置いておこうとしている。己の野望の為なら手段を問わない存在。それに、皆のことをただの実験体としか見ていない。絶命すればまた別の子どもを使用すればいいと考える質なのである。
「……ヤーナビー、行こっか」
優しく頭を撫でられたヤーナビーは、控えめに喉を鳴らすとなまえに頬ずりし、数歩先を歩き出した。
そう、その言葉通りにどこか遠くへ行けたらいいのに。おもちゃにされてしまった子どもたちを連れて、この地獄からずっとずっと遠いところへ。そんな実現不可能な願いを抱いては現実に引き摺り込まれ嘆くほかない。何年経っても慣れることのない苦しみだ。
ヤーナビーの足取りは実に軽い。大好きななまえとともに散歩できることを心底喜んでいるからだ。なまえは歩くたびに揺れる色鮮やかな毛糸をぼんやりと見つめた。彼は己が利用されていることも現状も理解できないでいる。知能が顕著に低下したおかげで過去すらも──人間だったころの思い出も、忘却してしまったのだから。なまえは楽しそうに眼前を歩くヤーナビーを見つめ、きゅっと唇を引き結ぶ。
彼の後ろ姿を眼にして脳裏をよぎるのは、腹を裂かれ体内をいじくりまわされているさなかの喚き叫ぶ姿にほかならない。なまえは皆の境遇を思い返しては未来を憂え、いつもひとりで泣いているのだ。
250214