よりよい捕食へ

「今日はお一人?」
「外にいるが」
「へえ、お使いか」
「無駄話をする気はない。アバドンの肉だ」
「う~ん。さしずめ、賢いトゥトゥってところかな」
「アバドンの肉をよこせ」
「上手におねだりできたらサービスしちゃうかもしれないぜ!」
「……俺はアバドンの肉を所望している」
「ほら、ouah-ouahって」
「……」

 ゆうらりと、色褪せたバットの先端が天を指した。蛙を模した面に影がかかり、人知れず口角を引きつらせたところでカウンターが真っ二つになる。「え、ひどくない? 冗談だってのに」惨いことをするもんだ、とザッカリーは肩を落とした。間髪入れず、追い打ちをかけるように聞こえた舌打ちに短気は損気だと助言してみるも、それがもはや無意味であることは明白だった。

「さっさとしろ」
「これ直すの誰だと思ってるんだ? もちろんこのオレさ」
「興味がない」
「あ、そう……まあそうだよなあ……」
「肉を」
「まいど。モロクの肉ね」
「……よほど浄化されたいらしいな」
「そりゃ無理な話だぜ、友よ」
「……」
「そんな情熱的な目で見つめられても」

 狂気さえ感じる四つ眼がザッカリーを射る。わざとらしく肩をすくめてみせるが、それがバッターの苛立ちを助長させる要因となることを彼は十分に知っていたのである。
 バッターにゲームプログラムを覆す手腕はない。権限もまた然り。しかし、哀しくもそれは現在の、、、話であり決して未来ではなかった。世界の法則が侵されるのも時間の問題だとザッカリーは踏んでいる。事実、対象はカウンターを破壊してみせた。これは少なからずの片鱗だ。有り得ないはずだというのに、その前提が脅かされている。それほどまでに、プレイヤーが堕ちてきてからのバッターは奇異なものだった。
 いよいよ猛る兆候が見え始めたので、ザッカリーは大人しく注文の品を取り出すことにした。代金をきっかり払ってくれるあたりは、妙なところで律儀と言うべきかなんと言うべきか。或いはただのプログラムによるものかも知れないが。アイテム商人を担う以上ありがたいことではあるものの、どこか腑に落ちない懐疑を禁じ得ない。
 取引が成立し、肉を片手に店を去る背を見送る。足早な後ろ姿すらも悍ましいものだ。ザッカリーはつい頬を掻く。どうやら思っていた以上に事態は深刻らしい、と。

「あらら……犬なんて可愛いものじゃあなかったか」

まるで捕食者の様相だ。

¿

「遅くなった」
「バッターさん……! さっき、お店からすごい音が」
「問題ない」
「も、もしかして、亡霊ですか?」
「……」
「無言ということは、やっぱり」
「……足を止めている時間が惜しい。行くぞ」
「は、はい。……わたし、バッターさんの言った通り、お店に入らなくてよかったんですね。いつも邪魔にしかならないから……」
なまえは俺を導いてくれさえすればいい。それ以外は必要ないからな」
「……」
「どうした?」
「……わたし、導くということが、今でもあんまりよくわからなくて」
「今までなまえが成してくれていたことだ」
「うう」
「思い悩むことは何も無い。俺にはまだ道標が必要なだけだ」

 バッターが諭すようにそう言うものの、なまえは釈然としないのか困ったような表現を浮かべている。バッターにとって、これは少々都合が悪い展開だ。下手に勘繰られ、使命達成の障害となることは避けたいのだ。現時点ではプレイヤーというなまえの存在が不可欠なのだから。
しかし、気を逸らそうにもバッターは口下手である。新たな話題など一切浮かんではこず、融通が利かない己に焦燥が募る。けれどもなまえはそんなバッターを他所に「……そういえば、」と切り出した。ああ、やめろと言っているのに! 憎悪に近しい怒りが思考を蝕む。いっそのこと、ここで───否、それは目下のバッターには不可能だ。なまえは異変に気がつかない。気がつけないのだ。実情バッターがあまりにも平然としているから。その視線だけは人を殺せる鋭利さを持ってはいたけれど。

「ザッカリーさんは───」

 ふと、ひた走っていた激情に歯止めがかかった。なまえの発した言葉を聞くに、どうやら危惧していた事態は避けられそうである。そう判断したと同時に途端に脳内は冷え切っていき、己の単純さに辟易した。
 なまえは能天気に続けた。「元気そうでしたか?」実を言うとバッターにはこの話題にも不満があった。バットを握る手には無意識に力が籠る。気が逸れたことは喜ばしいが、だからといってザッカリーの名を挙げられたことも酷く不愉快だったのだ。
 とはいえこの機会を逃すのが惜しいのも事実。仕方なしに「……特に、代わり映えはしなかったが」と大人しく応対する他ない。

「奴の相手をしていると気が狂いそうになる」
「!……な、なにか言われたんですね」
「ああ。俺を犬のようだと」
「いぬ?」
「救いのない程ふざけた奴だ」
「!!」
「……」
「あっあっ、でも! わ、わたしは犬好きだなあ……。だって、かわいいですから。ouah!……なんちゃって。ふふ」
「悪くない」
「えっ」
「……いずれにせよ、浅はかだな」

 唐突にバッターの歩みが止まり、なまえも必然とそうせざるを得なくなる。キャップの鐔を掴み俯く姿を不安そうに覗き込めば───ほんの一瞬、その眼に歪んだ口許が映ったような気がしたのだが。ひとつまばたきをしてみると、あとは常の感情の読めない面持ちだ。強いて言うならば、真っ直ぐに己を捉える四つの眼にはいつまで経っても慣れないものだと肌を粟立たせたくらいで、それ以外は平生通りである。

「飼い慣らされた覚えはないが、例え犬であっても剥くべき牙は持ってるさ」
「?」
「さあ、進もう。俺達はこの世界を浄化しなければならない」

 秩序の崩壊が迫りくる音がする!